この街で出会う人は皆、口を揃えて言う。

「彼の作品が嫌いな国民はいない」

 ポルトガル文学を代表する作家は人生の大半をリスボンで過ごした。ペソア研究者渡辺一史氏の解説とともに彼の愛した場所でその表現世界に浸りたい。


近代文学史に残る〈異名〉の創造

 フェルナンド・ペソアという名が世界で広く知られるようになったのは、死後数十年経ってからだ。1960年代から徐々に注目されるようになり、80年代以降に多くの言語で翻訳されたことで広く関心を呼び、今ではポルトガルの代表的な詩人と呼ばれる。

詩人は装う者
あまりに完全に装ってしまうから
実際に感じる苦痛を苦痛だと装ってしまう

――フェルナンド・ペソア

ぼくは自分の内に 互いにそしてぼくとも異なった
さまざまな人物たちを、自分の情緒や考えのなかでは、
綴ることのないようなさまざまな詩を創作した
これらの人物たちをつくりあげました。

――フェルナンド・ペソア

 とある研究者は、ペソアをストラヴィンスキー、ピカソ、ジョイス、ブラック、フレーブニコフ、ル・コルビュジエといった芸術家と並べ置いて評価しているが、この評価を得るペソアの詩学の最大の特徴が〈異名〉の存在である。

 異名とは、ペソアが創造した詩的人格のことで、本名のペソアとは異なる名前、出自、履歴、生活圏、形姿、文体といった個別具体の属性を持ち、まるで実在するかのように本名とは違う独自の作品世界を展開する者たちだ。

私は日が長くなった夏の
夕暮れ時の下町の静寂さが好きだ。
なによりも、日中はあわただしいばかりなのに、
それがうってかわって静寂で満ちるのが好きなのだ。

――ベルナルド・ソアレス

 ペソアの異名の中でもソアレスは〈半異名〉として、ペソアが自らの人格を一部反映させた特別な存在だという。

 筆名や仮名とは違い「本名の作家の権限が及ばない作家」というヨーロッパの近代文学始まって以来、初めての文学装置である異名の創造を重ねることで、ペソアは唯一無二の表現を構築し、掛け値なしの別人格としての異名を生きた。

 ペソアの読者は、この詩人の不思議な世界に戸惑いながらも、その夢幻にやすらぎ、いつしか自分もペソアの異名のひとりなのではないかと思うようになってゆくのだ。

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