夫の最期
下の子2人を連れたセツが、乙吉の家をにわかに賑わしてから3日後(29日)、家族そろって帰京する。そして、大気の澄む秋に入った。ハーンはセツと一雄のために、アメリカから2本の高級万年筆を取り寄せていた。届いた時のことを一雄は、次のように語っている。
……私は実に嬉しかつたのです。早速これで何か書こうとしました。……母が頻しきりと傍から何かパパの喜ばれそうなものを書け書けと申すのです。……丁度西日が紙面へ差し込んで来ました。私はふと想ひついて、「The sunshine is glittering on my goldenpen.」と書きました。母がそれは何の事ですかと訊ねますから「日光が私の金のペンの上に輝いてゐると云ふ事です。でも此の輝くと云ふ字のスペルがどうかしら?」と云ひますと、母は、つと其の紙を取つて父の室へ走つて行きました。私は……それを阻止しやうと母の後から駈け出しましたが間に合ひませんでした。しかし幸ひにも、それは間違つてゐませんでした。父は……大層喜んでくれました。是なら万年筆を与へた価値が充分あると申して褒めてくれました。母は傍から「そら御覧なさい」と云つて私を笑顔で軽く睨みました。(『父「八雲」を憶ふ』)
この美しい幸福なひと時─だが、ハーンの終焉は目前に迫っていた。「思ひ出の記」の草稿では、次のように語られている。
明治37年9月19日午后3時、私が書斎に行きますと良人は胸に手をあてゝ廊下をあとさきしてゐます。 私「気分がわるいのですか」。 良「私少し新しいの病気参りました」。 私「新しいの病気どんなですか」。 良「心の病気です」。 私「心の病気、あなたいつも余り心配をします。いつも心の病気です」。私は良人が何か心配をしてゐるのだとおもつたのです。 良「ノー心臓の病気です」。 而してその痛みは言ふむづかしい、心臓がハット驚いてブルブルツと震ふといふのです。私は直に二人曳の車で、僕に良人の兼て信用してゐる木澤といふ医師を呼びにやりました。而して奥に引返しますと、良人は自分の苦しむさまをあなたや子供にみせたくないから、あちらに行きて居るやうにといふてくれました。けれども私は心配で去る事が出来ませぬから、側で看病していたわつて居ますと、良人は机によりて手紙を書き始めました。私は病気のために書くのはわるいと注意しますと、「まあ自分のおもふやうにさしてくれ」といふのです。
暫(ママ)にて書き了りて、これは梅さんに宛てたのですといふて、本の間に一寸挿みました。「梅さん、よきおきての先生です。あなたむづかしいの時、よき親切やりましよう」と言葉を添ました。それから「もう大きいの痛み来るの時私死(ママ)ましよう」といふて、私の体を大切にせねばならぬ事、子供の行末の事に就て、血の滴たるやうな親切を力をこめて申しました。而して、わかりましたかと念を押しました。
それから「私が死んだらば、3銭或は4銭位のちいさいかめを買つて来て、それに入れて淋しい片いなかの小寺に埋めて下さい。そして決して悲しんで泣いてはいけませぬ。よいですか。子供たちをあつめて、カルタでもして遊んで居て下さい。人には通知せぬがよいです。若し、人が小泉八雲は、ラフカヂオは、とたづねたら、「ハア、あれはさき頃死(ママ)ました。唯これでよいです」といふのです。
この日一命を取り止めて、一旦平常の生活に復したが、その1週後の9月26日の夜の8時頃に、ハーンは帰らぬ人となった。「思ひ出の記」の草稿によれば、
この日、晩食に向ひました時、突然胸に痛みを良人は感じましたので、食をやめて自分の書斎に行きました。私もついて行きました。良人は暫らく胸を押(ママ)て、室内を歩いてゐました。……少し横になりましようといふて布團に横(ママ)はり、胸に手をあてゝ極めて静寂にしてゐました。間もなくモーこの世の人ではありませんでした。
何の苦しみもないやうに、口元には微笑をさへ浮べてゐました。
注 「思ひ出の記」の草稿は、濁音と最低限の句読点を加えたほかは、原文のままとした。
一雄は、セツの「一雄ッ一雄ッ! お花お花皆早く来ておくれーエッ!」の声に「ハーイ!」と応じた次の瞬間には、父の胸に取り縋すがって「パパアーッパパアーッパパアーッ!」と声の限りに呼んでいたという記憶を語っている。死因は狭心症。ただし木沢敏医師は、「死亡診断書」(池田記念美術館)に、病名として「心臓神経痛」と記した。
4日後(9月30日)の瘤寺での葬儀に際しては、焼香の間、涙を止め得ないでいるセツの姿が見られた。その後セツは、ハーンの好んで散歩した雑司ケ谷の墓地に、ハーンの好みそうな姿の墓を建て、その回りに彼が愛した「バラや芭蕉竹、オランダゲンゲ、ピパなど」を、庭から移して植え、彼が夢中になった苔が、地面に広がるようにと願ったのである。
» 続き―3回目「ばけばけ」では描かれなかった“その後の悲劇”を読む
長谷川洋二
歴史家、八雲会会員。1940年新潟市生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻、コロンビア大学のM.A. 学位(修士号1974)・ M.Ed. 学位(1978)を取得。一時期会社員、前後して高等学校教諭(世界史担当)。旧著『小泉八雲の妻』(松江今井書店、1988)のほかに『A Walk in Kumamoto:The Life and Times of Setsu Koizumi, Lafcadio Hearn's Japanese Wife』(Global Books, 1997)、『わが東方見聞録─イスタンブールから西安までの177日』(朝日新聞社、2008)がある。

八雲の妻 小泉セツの生涯
定価 1,210円(税込)
潮出版社
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)
