「“ナートゥ”をご存じか?」
そういった異端の敬語にもセンスを感じるが、より正統派の敬語の中で抜群のセンスを感じさせるものがある。インド映画『RRR』の有名なダンスシーンに出てきた日本語字幕、「“ナートゥ”をご存じか?」である。元のセリフは英語の「Do you know "Naatu"?」 で、直訳すれば「“ナートゥ”を知っているか?」なのだが、それを「ご存じか?」と訳してあるところに痺れた人も多いはずだ[注3]。
映画の舞台はイギリス領時代のインドで、このセリフを発するラーマはインド人。イギリス人に一応の敬意を示すための尊敬表現「ご存じ」に、じかに「か」がついている。この潔さがたまらない。「ご存じですか」とか「知っていますか」とかではないのだ。丁寧さと圧の強さと勢いをすべて盛りつけた見事なワンプレート・ディッシュ(カレー味)と言えるだろう。「ご存じでいらっしゃいますでしょうか」などと言ってしまう私には到底口にできる代物ではない。
それで結局、敬語のセンスとは何なのかというと、相手や状況に合わせて適切に表現を選んで組み合わせ、ちょうどいい量の敬意を盛る能力、ということになりそうだ。ただし相手の「ちょうどいい」がどこにあるのかは、エスパーでもないかぎり分からない。たとえ耳触りがイマイチな敬語を聞いたときでも、相手が差し出そうとしている敬意の方に目を向ける。そんな余裕を持つのも、ある意味「敬語のセンス」なのではないだろうか。
[注1][注2]永井玲衣『水中の哲学者たち』晶文社、2021年
[注3]「魅惑の高速ダンス「ナートゥ・ナートゥ」にテンション爆上がり!『RRR』本編映像」MOVIE WALKER PRESS、https://www.youtube.com/watch?v=E7Z2m_ZiRys
川添愛(かわぞえ・あい)
言語学者、作家。九州大学文学部、同大学院ほかで理論言語学を専攻し博士号を取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。著書に、『白と黒のとびら』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』『ふだん使いの言語学』『言語学バーリ・トゥード』『世にもあいまいなことばの秘密』『日本語界隈』(ふかわりょうとの共著)『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』『パンチラインの言語学』『裏の裏は表じゃない』など多数。
文=川添 愛 イラスト=Akimi Kawakami
