短歌は「普段は言わないこと」を詠むもの
――今、Z世代といわれる若者の間で短歌ブームが起きていると聞きます。
短歌の三十一文字という短さ、気軽さが、XのようなSNSと親和性があるのでしょうね。現代短歌は口語的で自由度が高いですし、日本語は、ひらがな、カタカナ、熟語、和製英語なども組み合わせて言葉遊びが面白い。若者に限りませんが、自分の中で切実に感じてることがあっても、それを直接的に口にして相手に伝えたり、公に発言したりするのはなかなかハードです。人知れず抱えている熱い願いや、やり切れない思いを表現したり、解き放ったりするのに、短歌という表現手段はうってつけなのかもしれません。短歌というひとつフィルターを通して漉された思いというか、むしろその方が真意が伝わったりするのかもしれませんね。
『たとへば君』には、世代を超えた普遍的なものが描かれているので若者にも刺さると思います。短歌というのは、生身の人間レベルで喋っているのとは違って、歌でしか言えない、普段はあえて言わないことを、互いに詠み合っていく詩形なんだそうです。言ってしまえば、一種の生き方、潔さ、真摯さの表れで、もっと突き詰めたひとりぼっちのものなんだ、と河野さんは書かれていました。
――ひとりぼっち、ですか。
相手に届かなくてもいい、自分の心の中にあるものを、ふっと宙に放るというのかな。相手も流れ星を一瞬見るような……、常にどこか俯瞰して、あるいは自分の奥底にある深淵を見つめている、そんな営みであるような気がします。言葉の美しさに敏感な日本人が、千年以上前から日々の暮らしや季節の移ろいの中で、物や人のあわいにある感情を三十一文字ですくい取って短歌にしてきたわけですが、現代短歌に形を変えても、そこに詠むのは、くっきりとした境界ではなく、未分化で溶け合ったり、混ざりあったりしているものだと思うんです。今この瞬間、手のひらをすり抜けていく何かをつかまえて、永遠に封じ込める――それが短歌の力なのではないでしょうか。
