「甘い恋の歌だけではなく、日常の出来事の奥に潜む人間の業や葛藤や孤独、その先にある深い優しさまでを描き切っている凄い作品。昨年12月に還暦を迎え、新しい刺激に身を晒してみたいと思いました」

 10月28日に新国立劇場小劇場で開幕する朗読劇『たとへば君 四十年の恋歌』に主演する本木雅弘さん。これが実に31年ぶりの舞台出演となり、朗読劇は初挑戦だ。

 与謝野晶子以来の天性の歌人といわれ、上皇后美智子さまもその歌を深く愛した河野裕子さんと、細胞生物学者にして歌人でもある永田和宏さん夫妻。

 その出会いから別れまでを、生涯にわたって詠み合った相聞歌とともに描いた『たとへば君 四十年の恋歌』河野裕子・永田和宏著(文春文庫)を原作とした舞台で、ピアノとチェロの生演奏をバックに本木さんは永田さんを演じ読む。妻の河野さんを演じ読むのは、森口瑤子さんだ。

<たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか>

 二人が出会った頃、当時21歳の河野さんが詠んだ歌である。

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たとへば君 四十年の恋歌

定価 880円(税込)
文藝春秋
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「蒸留水」の夫、「井戸水」の妻

――数々の映像作品で主役を演じてきた本木さんが31年ぶりに舞台に戻ってきます。この作品への出演を決めた原動力は何だったのでしょうか。

 お二人の結びつきの深さに痺れたからです。相聞歌は一般的には恋愛の歌を指しますが、『たとへば君』が特別なのは、二人の出会いから、結婚後のすれ違いや諍い、やがて河野さんが病に倒れ、壮絶な闘病の果てに息をひきとる最期の瞬間まで、そのすべてを歌にしていることです。京大短歌会に入っていた永田先生は、近隣の学生を集めた同人誌創刊のための歌会で河野さんに出会いますが、2011年に河野さんが64歳で乳がんによって亡くなるまで、夫のことを詠んだ歌が500首以上もあったそうです。永田先生が妻のことを詠んだ歌は450首で、河野さんの死後もさらに300首をつくり、「今では僕のほうが多くなってしまった」とおっしゃっていました。

 闘病中に河野さんが詠んだ<あのときの壊れた私を抱きしめてあなたは泣いた泣くよりなくて>という一首があります。一見、ふんわりとした優しい歌のようですが、この奥には、想像もできないような壮絶な時間が詰まっているんです。病魔と戦う中、睡眠薬の副作用とアルコールで、河野さんが時に刃物を持ちだすほど精神のバランスを崩してしまい、荒れ狂う妻を永田先生は必死で抱きしめ、そして泣いている。

 そんなどうしようもない事態のさなかで生まれた歌ですが、天性の歌人である河野さんは、錯乱の只中でも、壊れてしまった自分の挙動も、それを懸命に受け止めようとしている夫の姿も、感じとり記憶しているんです。表現者としての凄まじさに圧倒されながら、その姿勢は永田さんにとっても救いであったそうです。

――宮内庁御用掛として、歌会始の選者も務める永田さんは世界的に有名な科学者でもありますが、「河野裕子と出会ったことが自分のすべてだと思う」と朗読劇の制作会見で話されていました。生前、河野さんは、サイエンスと短歌という二足の草鞋を履き、いつまでもどこか青年のような繊細さがある夫のことを「蒸留水」、自分のことを「井戸水」と評していますね。

 河野さんの大地と直結してるような、本能的でみずみずしい感性と、永田先生の、夫として、科学者として、歌人として、生身の河野さんを愛おしく観察しているような眼差しは、どちらも徹底的に相手を見つめていながら、時に対照的です。例えば、河野さんの乳がんが発覚した時、それからしばらくも、永田先生は河野さんを動揺させないために努めて平静を装っていましたが、河野さんにとってはそのことがすごく寂しかった。それも後に精神のバランスを崩した理由の一つでした。

<平然と振舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ>(永田和宏)
<今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて>(河野裕子)

 相手を慮るあまりに、自分の正直な気持ちを隠してしまうことで誤解が生まれ、すれ違ってしまう。これは男女に限らず、友人関係でもよくあることですが、永田先生の持つナイーヴさみたいなものは自分の中にもあるなと感じます。私の場合は先生のような優しさではなく、天邪鬼で素直になれず、相手を混乱させるパターンなのですが(笑)。

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