お経をある種の予言書として解説し、大反響を呼んだ『お経から読み解く未来予言 仏教コード』(Gakken)。
第2弾となる『お経に記された宝のありか 仏教レコード』(同)では、“諸経の王”と呼ばれながらも解釈をめぐる論争が絶えない経典『妙法蓮華経』(以下、法華経)の言葉を独自の視点で読み解き、前作を上回るぶっ飛んだ内容となっています。
前篇では、三木さんならではのお経の読み方と、多くの仏教書とは異なる立ち位置についてお話しいただきます。
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『仏教コード』はなぜ10万部超のヒットとなり得たのか
――前作『仏教コード』は10万部を超えるヒットになりました。ご自身では、その理由をどのように分析していますか。
それは、お経自体が持つ力の成せる業だと思います。ただ、お説法にしても怪談にしても、人間どこかで「なるほど」と思わなければ、聞く耳を持たない。自分で言うのはおこがましいのですが、そこがうまくいったということではないでしょうか。
――『仏教コード』は、お経をある種の予言書と捉え、未来に起こりうる災難と備えを説く斬新な内容でした。新著の『仏教レコード』も、一般的なお経の解説本とはかけ離れた内容ですね。
お経はお釈迦様の教えを記したもので、そこには絶対不変の真理が記されています。ただ、その捉え方は、時代や翻訳者、それを受け取る人によって異なります。
私のスタンスは、「お経は真理であり、真実である」。例えば「自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)」という言葉があります。これはお釈迦様の遺言とされる言葉で、一般的には「他人に頼らず自らを灯(ともしび)とし、法(真理の教え)を灯としなさい。灯というのは比喩で、それを指針にしなさいという意味です」と教えられます。
でも私は、「灯明」という言葉が使われている以上、お釈迦様は物質的に光ることを意識していたのではないかと考えています。「指針にしなさい」という意味の比喩表現ではなく、お釈迦さまは実際に光っていた、というのが私の見解なんです。それを踏まえて仏典をたどると、「光」に関する文献が驚くほどたくさん出てくるんですよ。
――そうしたお考えは、いつごろから持たれていたのでしょう。
私は仏教系の大学に通っていたのですが、そこでは例えば「お釈迦様の頭から光が出た」という話は「お釈迦様が慈悲広大な人である」という例え話だと教わるんです。決して本当に光を発していたわけではない、と。
龍が出てくる話も同じです。「龍というのは、揚子江流域に生息するワニを見た中国の人たちが、その姿をもとに作り上げた想像上の生き物だ」と教わります。でも、それは“龍”という漢字・概念が中国でできた経緯の話であって、お釈迦様の教えの中に出てくる“ナーガ”(のちに「龍」と漢訳される存在)は、それよりずっと古い、インドの仏典の中にすでに登場しているんです。時代も場所も違う話を、一つの起源として片付けてしまっているんじゃないか、と思うんですよ。
それを教授に尋ねると、権威のある仏教学者の本にそう書いてあるから、と言われる。でも、その学者自身が悟りを開いたわけではないですよね。そんなことがいくつもあって、私はいつか絶対、自分で法華経の本を出したいと思っていたのです。
