母も同じで、いい人を見つけて結婚しなさい、それが女の子の幸せだ、みたいなことは言わなかった。母は当時では珍しい短大卒で教師の資格も取っていました。本当は教師の仕事をしたかったけれど、婚期を逃すとか言われて親に止められた過去があったようです。娘には同じ思いをしてほしくなかったのかもしれません。
私の妹は、自分の好きなことをとことん追求して、翻訳家になりました。これまでに数多くの仕事を残しています。彼女は私とは対照的に根っからの文系でした。文系では常に学年トップで、ある種の天才だった。中学生の頃には、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を一冊丸ごと暗記していました。
国語の長文読解の試験があると、課題の文章も設問の言葉も全部覚えてしまうんです。家に帰ってくると、試験問題そのものは回収されていて手元にはないのに、「こんな試験だったよ」と内容を細かな穴埋め問題の部分までスラスラ再現して話してみせる。これはとても敵わないと思いました。
「じゃあ、あなたのお母さんも馬鹿なの?」
両親は「女はこうするべき」「女はこれをやっちゃいけない」などと一切言いませんでしたが、周囲の人たちは違いました。地元の人の前では口にしにくいことですけれども、私が生まれ育った愛知県名古屋市は、当時はまだかなり封建的な土壌があったんです。女性は高校を卒業したらいったん就職して、結婚したら辞めて、子どもが大きくなったらパートで働くものだとパターンが決まっていました。
小学校では、「女は小学校時代に成績が良くてもだんだん下がっていって、結局は男に負けるんだ。いちばん馬鹿な男の下にいちばん利口な女がいるんだ」と男の子から堂々と言われたこともありました。
