「アナタが空気を読み過ぎる時は心の距離感を感じてしまう」

 日本の「空気を読む」文化が身に染み付いている私は、同棲していた頃、よくさっちゃんに「インド人のワタシ相手に、空気を読むなニホンジン」と、冗談交じりにたしなめられていた。

 もちろん彼は、私の「日本人っぽさ」を全面的に愛してくれている。けれど時には、「空気を読みすぎている」と感じることがあったそうだ。

 たとえば、彼と違う意見があっても、「衝突したくないからやめておこう」と自分の考えを飲み込んでしまう時。あるいは、何か頼みごとをしたいけれど、「今は忙しそうだからやめておこう」と、勝手に相手の状態を推し量って遠慮してしまう時。そういうところに、私の「空気を読む癖」が表れていたのだと思う。

 そして彼は、はっきりと「ワタシは日本人じゃないから、アナタが空気を読み過ぎる時は心の距離感を感じてしまう。インド人だから、なんでも遠慮しないで全部伝えて欲しい」と言った。

 彼の言葉を聞いてハッとした。私は「相手を思いやること」と「自分を抑えること」を混同していたのかもしれないと気づいたのだ。確かに、思いやるが故に自分を抑えるという場面もあるだろう。それを美徳として受け取るのが日本の文化で、心の距離感と捉えるのがインドの文化なのだ。

 日本語ペラペラで日本特有の「空気を読む」ということができるさっちゃん。そのうえ、二人の間には価値観や感覚に共通している部分も多い。だからこそ、私はいつの間にか、彼が「私たち日本人とまったく同じように感じている」と思い込んでいたのかもしれない。

 しかし彼は、いくら日本語が堪能で、日本の文化に馴染んでいても、やっぱりインド人としての感覚で世界を見ている部分があるということ。それは、違う国で生まれ育った人間として、当たり前のことだ。

 私が「察する」という日本的な優しさに重きを置いていたように、彼にとっては「言葉にして伝える」ことが、関係を大切にするために欠かせないものだったのだ。たしかに私はこれまで、たくさんの場面で「空気を読む」ことで衝突を避けたりして和を保とうとしてきたが、それは時に、相手にとって「壁」のようにも映るのだということに、彼の言葉を通して初めて気づかされた。

 それから私は、彼との間ではできるだけ「読む」より「伝える」ことを選ぶようにしている。意見が違っても、それを言葉にすることでぶつかるのではなく、理解し合う機会になるのだと、今では感じている。

 文化の違いは、時に距離を生むけれど、それを乗り越える方法もまた、二人の間にしかないかたちで育っていくのかもしれない。彼と一緒に過ごす時間の中で、私は「空気を読む」ということの中に、大切な意味を見出せるようになった気がしている。

 そもそも空気を読む目的は「相手を思いやること」。ちゃんと伝えることもまた思いやりなのだと、彼は教えてくれたのだ。

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