美容ジャーナリストの天野佳代子さんが、60歳前後でぶち当たる「キレイの壁」ののりこえ方を語りつくしたエッセイ『60歳の「キレイの壁」をのりこえる』が発売に。60代になって活躍の幅を広げ、ますますエネルギッシュに行動する天野佳代子さんの思考や価値観を形成する鍵となった体験とは?

 同書より一部抜粋してお届けします。

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麻布生まれ、広尾育ち。母はラーメン屋、父は板金工

 麻布生まれの広尾育ちです。出身地を言うたび「お嬢さん」「お金持ち」と言われ続けてきました。「貧乏な家で育ちました」と答えても、たいがい謙遜ととられたので、今は曖昧に返事をするだけにとどめています。

 両親は麻布商店街で団子屋を営んでいて、私が生まれてすぐに広尾に転居。父は団子屋から板金工に看板を替え、広尾商店街の奥まった所にあるアパートを借りました。表に面した部屋を工場にして、家族の住居は奥の4畳半。弟が生まれ、家族4人、狭い中での生活でしたが、当時は皆同じような環境だったので不満はありませんでした。

 近所づき合いは濃密で、半径50メートル内の家の事情は、お互い親戚並みに知っていました。年頃になっておしゃれをして遊びに行こうとすると、「佳代子、どこ行くんだ!」とあちこちから声がかかります。それがイヤで「早くここから出てやる」と憤っていたものです。でもそんな人間関係も悪くはなかったと今は感じています。

 私が16歳のとき、母が一念発起してラーメン屋を開業。そのときは商店街中がサポートしてくれて、20年ほど前の父の葬儀でも支えられました。家族や友達以外の、他人なのにやたらと近い関係の彼らを通して、喜び、悲しみ、おかしみを共有しながら、人ごとを自分ごとにしていく“情の厚み”のようなものが育っていったような気がします。みんな遠慮がなくて、面倒なことも多かったけれど、私の心の半分は、あの頃共に過ごした広尾商店街の人々にもらったものだと思っています。

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