
ああ、また食べたい。思い出すたびにそう思う料理に長崎市内の旅で出会った。多文化が融合して発展した卓袱(しっぽく)料理のメインディッシュである豚の角煮に、それから豊かな漁場で獲れた新鮮な地魚の刺身……。地元で愛されるふたつの料亭の逸品を紹介しよう。
長崎の伝統、卓袱料理を味わえる老舗「坂本屋」

まずは、長崎の郷土料理である卓袱料理の老舗「坂本屋」(長崎市金屋町)だ。1894年に旅館として創業し、2代目が長崎の宿で初めて卓袱料理を提供しはじめたという。過去に、画家の東郷青児や山下清、歌手の淡谷のり子など、多くの文化人も訪れた。現在は料亭として営業し、地元客を中心に愛されている店だ。

昼と夜の営業で、今回、昼の卓袱料理のコースをいただいた。門口ののれんをくぐって店内へ入ると、立派な和建築に風格がただよう。和室の円卓に腰をかけると、着物姿の女将・坂本悦子さんが料理の説明をしてくれた。客一行が席に着いたら、まず女将のあいさつからはじまるのが卓袱料理のしきたりなのだ。

坂本さんの話などによれば、卓袱料理の起源は、江戸時代の鎖国の間に唯一海外と交易をしていた出島からだといわれる。唐人屋敷に暮らした中国人が日本人や西洋人への接待料理として提供したのち、一般家庭、そして料亭へと伝わった。そうしたルーツがあるため、和・華・蘭(わからん)の食文化が融合した長崎特有の料理になったというわけだ。
女将の「お鰭(ひれ)をどうぞ」の言葉で食事をはじめる。お鰭とは、卓袱料理の最初に出される鯛の身が入ったお吸いもので、宴席のあいさつや乾杯は、全員がそれを食べ終わるまで待ってから。卓袱料理にはほかにも、基本的に取り皿はひとり2枚まで、とか、直箸で料理を取る、といった古くからの作法がある。

また、朱塗りの円卓を囲むことも特徴で、「上下の隔たりなく、和気あいあいと楽しめるように」との思いが込められているそうだ。
坂本屋の卓袱料理はコースによって、10~15種類。お鰭からスタートして、地元の魚や肉、野菜を使った大皿小皿の料理が円卓いっぱいに並び、最後は梅椀と呼ばれるおしるこでしめる。上品に盛りつけられたひと皿ひと皿は、目にも楽しく、満足感たっぷりだった。

さて、そんななかでひと際、印象的だったのが豚の角煮だ。これは、東坡煮(とうばに)といい、卓袱料理の代表的なメニュー。見るからにやわらかそうな、艶のある角煮に、黄色いからしがちょこんと乗っている。口に運べば、ほろり。肉によく染み込んだまろやかな甘さしょっぱさが、白米にばちんと合う。ほおが落ちるとは、こういうことなのだろう。
坂本屋の東坡煮は、コースの華にして伝統と歴史が織りなす味だ。聞けば、厳選された皮付き三枚バラ肉を長時間ゆでて油を徹底的に落とすことで、ゼラチン質のみが残り、うまみに変化するという。そして、あくを取りながら長時間煮込み、さらにひと晩寝かせて完成させる。
「他国の文化を受け入れてきた卓袱料理なので、これまでの伝統を守りながらも、各国の料理を受け入れて進化していきたいです」と坂本さん。“伝統は革新の積み重ね”がコンセプトだという創業130余年の老舗料亭の味をぜひ一度。

2025.04.02(水)
文=一ノ瀬伸
写真=釜谷洋史