はじめに
A お金という(悪)夢
お金は人類の恥部である。
みんなお金が大好きだ。ネットや本屋を覗くと年収アップやら資産形成やらFIREやらのゴミみたいな書籍や動画が溢れている。火を放って焼き払いたくなるくらいに。暗号資産やらNFTやら新しい資産も次々芽生えては滅びているらしい。億り人も家畜みたいに大量生産されている。
夢のある話だけじゃない。人生相談を受ける番組で資産をすべてトルコ国債・リラに投入した直後に暴落で終了した人の相談を受け、諦めることをおすすめしたことがある。なりすまし投資詐欺に引っかかって老後のための資金を溶かしてしまう中高年も多い。逆に小金のために詐欺の出し子になって一生を棒に振ってしまう若者もいる。数十万円のために人殺しを請け負う人さえいる。人を殺すくらいなら、自分が死ねばお金の心配もなくなるのに。
お金は夢であり悪夢である。それなのに、あるいはだからこそ、人はお金の話を避けたがる。身長や年齢、時に体重や血圧は公開しても、年収や資産は誰も公開しない。家族や親友にさえ教えるのはすごい抵抗感だろう。そして公開してる人のお金情報はだいたいデマである(ビジネスお金持ちもビジネス貧乏人も多いので注意)。不思議だ。ただの数字になぜそんなに神経質になるんだろう。要するに、お金はみんなが一番話したがり、同時に一番話したがらない存在である。
私はどうかって? もちろん年収も資産も断固として非公開である。そして私もお金が大好きで大嫌いである。お金には人の性格や本質が映し出されるように見えるからだ。お金持ちに限ってケチで人を安くこきつかうことが本能みたいに染みついていたり、お金に興味がないと言ってる人はだいたいそういう話でお金を稼ぐ人だったり。お金には人間の矛盾や葛藤がよく表れる。だからどうでもいいところで急に強気の値段交渉をして相手が狼狽えるのを見たり、他人のお金事情をしつこく聞き出そうとして絶縁されたりするのが好きだ。人の不幸はもちろん大好物なので、株価や仮想通貨が暴落して苦しんでいる人がいると胸が高鳴ってしまう。
2025.03.22(土)