この記事の連載

なぜ私たちは学歴に囚われるのか?ーー関西の名門男子校である某R高校から京都大学文学部卒に進むものの、その後エリートコースを“転落”した作家・佐川恭一さんが、偏差値や大学名に異常に執着していた受験期を振り返るエッセイ『学歴狂の詩』を上梓。いまだに学歴厨を卒業できないという佐川さんに、偏差値や大学名に異様な執念を持つ人間たち、学歴狂について話を伺いました。(全2回の1回目。後編を読む)


――『学歴狂の詩』は、地方の名門男子高校の受験という世界を覗き見できる画期的な書籍ですね。佐川さんは親御さんを心配させるほど勉強に没頭していたそうですが、どのくらい勉強していたのでしょうか。

佐川さん 一番勉強していたのは中学3年生の時。学校がない週末は、ほぼ休むことなく10~15時間くらい勉強していたと思います。お風呂に入っているときも、ご飯を食べているときもずっと勉強漬けでしたね。

――度が過ぎた“教育虐待”を受けていたわけではなく、自発的に勉強していたんですよね。

佐川さん はい、そうなんですよ。親はどちらかというと、私がここまで勉強するのは反対の立場だったと思います。

 中学生のときに塾の成績が良かったこともあって「神童」って呼ばれていたんです。一方、運動は壊滅的に苦手で……。小学生のときに始めたサッカーなんて、下手すぎて3カ月で辞めましたから。なので、勉強が出来ることが唯一のプライドというかアイデンティティになってしまっていて、自ら修羅の道へ猛進していきました。そこから降りられなかったんでしょうね。

 それでも中学生のときは、自分のことを天才だと思い込むことが出来ていたので勉強は楽しかったんです。でも名門校に進学したら、自分より頭のいい奴が周りにいっぱいいたので精神状態が悪化していきました。「天才じゃないけど、勉強をやらんとやばいぞ」みたいな心境になっていって、どんどん追い詰められていきましたね。親に心配されていたのはそのころです。

 でも、心配されたところでもうこの受験戦争をやめられるわけないので「やるしかないんじゃ!」と言い返して喧嘩になったこともあります。まぁ、今振り返るとあれはどんな親でも止めるかな、という状況だったと思います。

――ライムスター宇多丸さんも、中高一貫の男子高校である巣鴨高校卒業です。宇多丸さんはラジオなどでよく出身校を「巣鴨プリズン」と呼んでいますが、佐川さんの出身校もプリズン感はありましたか?

 プリズン感というか、閉塞感はあったと思います。宇多丸さんの高校は、部活に入っていないとしょぼいやつみたいに扱われるとおっしゃっていましたし、灘高校とか麻布高校も、勉強が出来るのは当たり前でさらにもう一個特技がないとまわりに認められないなんて噂もありますよね。

 でも、うちの高校は逆。「部活なんて入っていたらあかん」という雰囲気で。とにかく勉強特化型でした。スポーツ推薦で進学してきた人以外は、ほとんど部活に入っていなかったんじゃないかな。逆に勉強が出来れば全て許されるみたいな独特の雰囲気がありました。
 

2025.03.25(火)
文=高田真莉絵