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敗戦後のロッカールームはいつも乾いている。惨敗で最下位が決まったとなれば、なおさらだった。仲田幸広はスパイクの紐を解くと、まずバットを、それからグラブを布で磨いた。ゲーム後のルーティンと、室内に満ちた汗と皮革の匂いだけは勝っても負けても変わらなかった。
ウイングスの本拠地シティドームのロッカールームは中央に共用のソファが置かれ、それを囲むように各選手のスペースが仕切られて並んでいる。三十人ほどの男たちがひしめくその空間で、仲田はただひとり、二人分のロッカーを与えられていた。最も広いシャワーブースは仲田が使うまで誰も足を踏み入れず、洗面台には仲田専用のタオルが掛けられていた。チームメートも仲田自身もそれを当然のこととして受け入れていた。
試合直後のロッカールームには慌ただしく人が出入りしていた。選手はもちろん、トレーナーやスコアラーなどチームスタッフの姿もある。そこへ球団職員用のジャンパーを着た広報が顔を覗かせた。申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。それだけで何を求められているのか分かった。メディアの前に立ち、惨敗の理由を問う記者たちの質問に答え、テレビカメラの前で最下位という結果を謝罪してもらいたい——広報はそう言っているのだ。勝ちゲームの後はヒーローがフラッシュを浴びればよかった。だが、特定の個人が負うことのできない大きな敗北の後、報道陣の前に立つのは仲田をおいて他にはいなかった。それでメディアもファンも納得する。仲田はこのチームにおいてそういう存在だった。
リーグ最下位が決まったこの日のゲーム、仲田は十点をリードされた九回裏に代打で打席に立った。消沈していたスタンドがその瞬間だけ熱を取り戻すのが分かった。得点差や勝敗に関係なく、仲田はいつも誰より大きな歓声を浴びた。その後、三番の大和田綋士がソロホームランを放ったが、仲田の打席ほどには沸かなかった。三振しても拍手をもらえる選手はこのチームにおいて仲田ひとりだった。そして、いつもライトスタンドの横断幕には唐紅色に染め抜かれた文字が揺れていた。
「ミスター・ウイングス」
仲田は七年前のある試合を境に、そう呼ばれるようになった。
一九九六年シーズン、ウイングスは優勝争いから脱落することなく春を過ごし、夏を乗り切ると、痺れるような秋を迎えた。十月十日のシーズン最終戦、〇・五ゲーム差で首位を走る福岡フェニックスとの直接対決にたどり着いた。勝てば球団史上初のリーグ優勝、引き分け以下なら夢は幻と消える。そのビッグゲームで、仲田は九回裏に同点ホームランを放った。さらに得点できなければ規定により引き分けとなる延長十二回裏にはツーアウトから走者として本塁へ突入した。そして、そのクロスプレーで全治一年の怪我を負った。
万年Bクラスの球団が初めて優勝に片手をかけた試合はファンの間で語り草となり、悲劇の主人公としてゲームに殉じた仲田は以後、「ミスター」の称号で呼ばれるようになった。
最下位という結果を糾弾する空気は薄く、メディア対応は思いのほか早く終わった。仲田が戻ってきた頃には、ロッカールームは日常の落ち着きを取り戻していた。昂りも消沈も霧散し、談笑が飛び交うようになっていた。ただ、その中に一人だけ、まだユニホーム姿のまま呆然としている選手がいた。この日の先発マウンドに立った宮田一翔。三回途中までに六点を失ってベンチに下げられた二十一歳は、ゲームを壊した責任を一身に背負っているようだった。甲子園優勝投手として鳴り物入りで入団して三年、その期待に応えているとは言えず、そんな状況の宮田を「戦犯」として記者たちの前に立たせることはできない。広報が仲田に頭を下げたのにはそうした理由もあった。
致命的なエラーを犯したにせよ、無惨にノックアウトされたにせよ、項垂れている者には声を掛けないのがこの世界の暗黙のルールだった。宮田の後ろを通り過ぎていく選手たちのほとんどは無言で通り過ぎるか、慰めの意味で背中を軽く叩くだけだった。そんな中で、失意の投手を見下ろしながら言葉を投げつけた男がいた。
「お前、何度、言ったら分かる?」
その低くしゃがれた声に宮田が顔を上げる。他の選手たちも着替えの手を止める。
「相手が狙ってるところにまっすぐばっかり投げやがって……。まだ甲子園のマウンドにいるつもりか?」
二年前にトレードでやってきた高沢晃市は五球団を渡り歩いてきたベテラン捕手だった。チームでただ一人、優勝経験を持っているが、四十を前にした肩の衰えからウイングスでは控えに甘んじていた。そして誰に対しても剝き出しの言葉を吐くため、度々コーチングスタッフやチームメートと衝突するトラブルメーカーでもあった。
「なんとか言え」
高沢はなおも言葉を投げつけた。俯いたまま黙っている宮田に代わって、立ち上がったのは正捕手の桂有一郎だった。一九〇センチ、一〇〇キロはあろうかという巨漢で高沢の前に立ちはだかる。
「落ち込んでる奴にそんな言い方ないでしょう」
「他に誰も言わねえから俺が言ってやってるんだろうが。毎回、同じようにやられてるバッテリーにな」
高沢は刃物で切り裂いたような細い眼を年下の正捕手に向けた。桂も引かなかった。
「俺たちだって考えなしにやってるわけじゃないですよ。自分が出られないからって、腹いせに後輩に当たるのやめてください」
その一言に高沢の顔色が変わる。
「なんだと?」
ともに重量級の高沢と桂が距離を詰めていく。同じポジションを争う二人のライバル関係も相まってロッカールームに緊張が走った。
仲田が立ち上がったのはそのタイミングだった。内心、嘆息しながら二人の間に割って入ると、まず高沢の肩を抱いた。
「タカさん、気持ちは分かります。でも、もういい。こいつらだって必死にやってるんですから」
チーム最年長のベテランを往なせる選手は仲田をおいて他にはいなかった。高沢の歯痒い気持ちも理解できないではなかったが、自分のいるロッカールームで秩序を乱すような真似を看過することはできなかった。何より、数え切れない敗北をいちいち論うことにうんざりしていた。
「俺にはそうは見えねえけどな」
ミスター・ウイングスを前に矛を収めるしかないと思ったのか、高沢はそう吐き捨てると、ロッカーの奥へと去っていった。桂は仲田に頭を下げ、他の選手たちも着替えに戻った。仲田が腰を上げてからわずか数秒で緊張状態は解かれた。はからずも、誰がこのチームの玉座にいるのかを象徴する場面になった。
それから仲田は着替えを済ませると、高級ブランドのバッグを肩に担いだ。
「お先」
いつからか、その台詞の常連になっていた。誰よりも早くロッカールームを後にする。かつてなら考えられないことだった。怪我をする前の仲田はゲームが終わればバットを担いで、そのままベンチ裏の打撃練習場に向かった。ロッカーに戻ってシャワーを浴びる頃にはチームメートはほとんど誰もいなくなっていた。コーチが止めに来るまで打っていたこともあった。だが、今は身体がそれを許さない。一九九六年シーズンのあのゲームで仲田は左膝の靭帯を損傷し、右アキレス腱を断裂した。その後、左膝にメスを入れてからは月に一度、たまった水を注射器で抜いてもらいにいかなければならなかった。不機嫌な爆弾はいつ暴れ出すか分からず、ここ数年はフルシーズン戦えない状態が続いていた。そして、アキレス腱断裂はあらゆる感覚を仲田から奪い去った。かつてならフェンスを越えていた放物線が外野手のグラブに収まるようになり、ツーベースにできた打球がシングル止まりになる。パワーもスピードもかつてとは比べようもなく、まるで別人になったようだった。ウイングス史上最大とも言えるあのゲームで得たものと失ったもの、仲田幸広というプレーヤーはその光と影で形成されていた。
ベンチ裏の通路を駐車場へ向かう。すれ違う誰もがミスター・ウイングスに頭を下げていく。通路の床を踏むたび左膝が疼いたが、表には出さなかった。仲田はいつ誰に対しても同じ顔を見せた。グラウンドでの出番は減ったが、チームには仲田でしか解決できないことが数多くあった。このチームの象徴たらんとすることが、今の自分を支えていた。
薄暗い駐車場に出て愛車のドアに手をかけたとき、ふと忘れ物をしたような感覚になった。そういえばロッカールームを出るとき、入口のベンダースペースに見知らぬ顔があった。スーツ姿のフロントマンらしき男が無表情で立っていたのだ。チームメートや球団スタッフはもちろん、メディア関係者からドームの職員まで、この球団に関わる人間で仲田の知らぬ顔はないはずだった。
あれは誰だ……。一瞬、頭をよぎったその疑問は、車に乗り込んでエンジンキーをまわした時にはもう消えていた。
2024.11.14(木)