垂氷郷郷長、雪正の次男坊、雪哉の誕生であった。
***
「そう心配するな、梓。皆が探している。きっと、雪哉も雪雉も、すぐに見つかるさ」
蹌踉とした足取りで郷長屋敷から戻ってきた妻を安心させようとでも思ったのか、雪正は軽い口調で言った。
「こうなると、本当に雪哉の家出かもしれないぞ」
あいつだったらやりそうだ、という軽口は、今はどうあっても逆効果だった。
「あなたは、どうしてそんなに雪哉に冷たいのですか。あの子が可愛くないのですか」
泣きそうな声で言われ、雪正は驚いたように目を見開いた。
「馬鹿を言え。もちろん、雪哉も私の息子だ。可愛いに決まっている。だが、時々、我が息子ながら、何を考えているか分からない眼をしている時があるから……」
口ごもる夫に、梓は雷に打たれたように悟った。
――雪正が恐れているのは、冬木だ。
冬木に、見た目も頭の出来も良く似た雪哉は、きっと、敏感に父や女たちの思いを嗅ぎ取っていたに違いない。あの、試すような眼差しは、雪馬や雪雉にはないものだ。
二歳になったばかりの頃、雪哉を北家系列の中央貴族の養子に出すか、自分の手元に引き取るかの、二択を迫られたことがあった。
亡くなった冬木さまが可哀想だ、継母のもとで子どもの立場がないと言うのなら、いっそ手を離してしまった方がお互いのためにはよかろう――そう嘯く連中の声の、なんと甘かったことか。
結局梓は、甘言と共に伸ばされた手を振り払った。
雪哉を養子にと望んだ者達は、結局のところ、雪哉の身分にしか興味のない連中ばかりだった。冬木の傍で見てきた彼らのやり口を思い出し、自分のことを「ははうえ」と呼ぶ雪哉を見てしまえば、もう、手放すことは出来なかった。
あの時、自分は雪哉を、自分の息子として育てることに決めて、その決心どおりにしてきたつもりだ。後悔したことはない。だが、それは本当に、雪哉のためになっていたのだろうか。
2024.09.28(土)