「創作生蕎麦 梟小路」は今年5月19日で10周年を迎えた。しかし、この池袋という町でどうしてこんなに安い店を始めることになったのだろうか。注文している間に川元店主に聞いてみたのだが、これが納得の理由すぎて感心するばかりだったのである。

 

フィリピンパブの店長だった川元さんが、蕎麦屋を始めた納得のワケ

 川元店主は静岡県出身の54歳。どこかの蕎麦屋で修業したのか聞くと「修業は一切していない」という。

 20歳頃上京し、1990年頃から1998年頃まで池袋のメキシコ料理の店で店長として頑張って働いていた。「社長は厳しい人だったが料理や商売のことはよく教えてくれた」という。

 そして1998年頃から今の場所で、何とフィリピンパブの店長などをしていたというのだ。「仕事は忙しかったけどいろいろ大変で相当疲弊していた」という。

「パブよりももっと足が地に着いた近隣に愛される店をやりたい」と一念発起

 池袋で働くようになってから蕎麦が好きになったそうで、忙しい合間によく立ち食い蕎麦屋や街蕎麦屋に立ち寄っていた。

「十割手打ちそば 美蕎BIKYO」は今もよく行くという。近所にあった今はなき「生そば玉川池袋東口店」、立ち食い蕎麦屋の「いわもとQ」、年配夫婦が経営していた「伊作」、「六花そば」にもよく行ったという。

 そして、「パブよりももっと足が地に着いた近隣に愛される店をやりたい」と一念発起し、パブがあった場所で今の店をスタートしたのが2014年だった。

 すごいのは「蕎麦屋をやるのなら、周りにないような、居酒屋としても街蕎麦屋としても、立ち食い蕎麦屋としても使えて、若い世代から年配まで、男女問わず気軽に使ってもらえるような店にしたい」と計画したことである。

 つまり安い店、メニューが斬新な店である。

 蕎麦は近隣で食べ歩いた経験を元に、知り合いの製麺所に川元店主のオリジナルの配合で製麺してもらい、生麺を仕入れ味を吟味していった。
 
 つゆも試行錯誤して万人に受ける上品な味を作っていった。つまみや料理はメキシコ料理店時代から独学で覚え、独自の仕入れ先を開拓し、低価格で提供できるようにメニューも工夫した。

 メニューが従来の蕎麦屋のものと違うのはこうした背景があったからである。そんな話をしていると、注文の品が続々と登場した。

名物は500円の「麻婆そば」酒もつまみも安すぎる、池袋の“行列のできるそば屋”は値段も経歴も破格だった《店主はフィリピンパブ出身》〉へ続く

2024.08.05(月)
文=坂崎仁紀