この記事の連載

一冊の本に書かれていた文とは…

――それはどういう文章ですか?

 「認知症の方と関わるためには、まるで俳優のように、彼らが創り出す虚構の世界に寄り添っていくことが重要なことである」という趣旨の文章でした。

 これは、俳優という職業を生業にしている卓の、陽二(演:藤竜也)さんへのアプローチとして参考になりました。

 俳優は人によって千差万別なので、一概にこうだと言い切ることはできませんが、僕自身は、俳優は起こるできごとや事実、感情に対して、ある客観的な目線を持つと同時に「そのキャラクターである自分をどう生きるか」という主観的視点を持つものだと思っています。その主観性と客観性のバランスが重要で、そのバランスがそれぞれの役者の色にもつながるのではないでしょうか。

 そういう視点を日頃からもっている卓だからこそ、認知症で別人のようになった父と対峙しても、どこかで面白がっているというか、自分にも起こっていることなのに、その状況を俯瞰的、客観的に見てしまうのではないかと考えました。

 つまり、ある種のドライさを持ちながら、「認知症を患った父」という現実に向き合う。卓が俳優という職業だから考えられる人物像として構築してみたつもりです。

――「虚構の世界」というのは、現実にはない、つまり「不在」ということにもつながりそうです。

 『大いなる不在』のタイトルにもある「不在」というのは、かつてはそこに「在った」からこそ「不在」と呼ばれるんですよね。

 俳優という仕事は、「脚本」を軸に「言語」というものを駆使して作家や観客とコミュニケーションをとりながら表現に転化していくものですが、卓の父親である陽二さんも、長年大学教授を務め、言語を駆使して生きてきた方です。そんな「言語」によってコミュニケーションを取ることが最重要だと認識してきた人間が、認知症によって言語が失われていく。

 でも、そのことで言葉にならない想いだけが残り、通じ合えなかった父と子に言語を超えた何かしらのつながりが生まれる。

 これが『大いなる不在』の中で起きたことのひとつなのではないかと、僕は思っています。

映画『大いなる不在』

公開日:全国公開中
配給:ギャガ
監督:近浦啓(http://keichikaura.com/
出演:森山未來、真木よう子、原日出子、藤竜也 他
公式サイト:https://gaga.ne.jp/greatabsence/

次の話を読む「藤竜也さんとの対峙はまさに“居合”でした」森山未來が語る「演じること」と「踊ること」

2024.07.19(金)
文=相澤洋美
写真=深野未季
衣装協力=BED j.w. FORD
スタイリスト=杉山まゆみ
ヘアメイク=須賀元子