昭憲皇太后の強い意識が感じられる大礼服

 大礼服はボディス(上衣)、スカート、幅1.7m、長さ3.4mにも及ぶトレイン(引き裾)からなり、ボディスとトレインには薔薇の花が織り込まれたシルク地に金モールで立体的な刺繍が施されています。あたかも昭憲皇太后がお召しになっているかのような展示を前に、一色さんは「小さい!」とまず一言。

 「写真を拝見した時は、神々しくて華やかなドレスだな、とその美しさにばかり目が行きましたが、実際に拝見すると、その小さなサイズに驚きました。明治時代の女性の平均身長からすると、当然なのかもしれませんが、そんなことからも明治時代と今では時代が大きく違うのだと認識させられますね」(一色さん)

 明治10年代後半から20年代初めにかけて、日本では欧化主義の風潮が高まり、宮中でも宮廷服として洋服が採用されることになります。昭憲皇太后は1886(明治19)年、皇后として初めて洋装を取り入れ、以降、公式の場はすべて洋装で通したといいます。

 それまで屋外に出ることはほとんどなく、指の先さえ人に見せずに暮らしていた皇族の女性が人前で肌を露出することは、現代では想像もできないほどの勇気を必要としたことでしょう。明治神宮国際神道文化研究所の主任研究員である今泉宜子さんは、昭憲皇太后が皇后としての役割に強い意識を持って決心されたのではないかと語ります。

「世界の舞台で日本が対等に認められるには皇后の洋装が不可欠だという周囲の勧めもあって、国のためになるのであれば、と心を決められたのだと思います。この頃昭憲皇太后が記された和歌に『新衣(にひごろも)いまだきなれぬわがすがた うつしとどむるかげぞやさしき』とあります。決意をしながらも洋装への戸惑いを覚えている昭憲皇太后の御気持ちが感じられるようです」(今泉さん)

 それを聞いた一色さんは、「現代とは全く異なる常識、価値観の時代に作られ、着用されたドレスなのですね」と強く感じ入ったよう。

 「昭憲皇太后は、初めて洋装を身に着けられた皇后――それだけだと実に簡単そうに聞こえますが、その裏側には、きっと今では考えられない勇気や苦労を要したのでしょうね」(一色さん)

2024.04.26(金)
文=張替裕子
写真=杉山秀樹