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レンズ、北の地へ還る

 6月下旬、ぼくが住んでいる京都市は晴れていれば気温30度超えの真夏日、そうでなくても蒸し暑い日が続いていた。

 久しぶりの飛行機で降り立った新千歳空港は、涼しくて気持ちよかった。札幌で一泊した翌朝は、ありがたいことに快晴。担当編集者、カメラマン氏と合流し、灯台を巡る旅は始まった。

 最初の目的地は神威岬灯台。日本海を望む積丹半島から突き出た岬の先端にある。札幌からはカメラマン氏がハンドルを握る車でだいたい西へ、二時間ちょっとである。

 ちなみに積丹半島の海岸のほとんどは、国定公園になっている。青く澄み渡った海、寄せる波が作った崖や奇岩、海岸からすぐ立ち上がる優美な山。独特の景観が楽しく、車中はちっとも退屈しなかった。

 神威岬の根元あたりでぐるりと湾曲する坂を上れば、広々とした駐車場とレストハウス「カムイ番屋」がある。ここから伸びる遊歩道を行けば神威岬灯台に至る。

 まずカムイ番屋に入った。一階のお土産屋と食堂を眺めながら階段を上がる。灯台にまつわる展示があるという二階に至ったところで、ウワッと声を上げてしまった。

 ほのかに青緑色を帯びたガラスの輪を、細い金属の骨で見上げる高さまで積み上げた巨大な構造物が、そこにあった。輪は上に行くほど小さくなり、全体は釣り鐘に似た形を成している(「釣り鐘」の言葉は説明書きから取ったが、ぼく自身はアポロ宇宙船を想起した)。レトロともSFチックとも言える不思議な佇まいだった。

 構造物は第一等不動レンズと呼ばれている。凸レンズをばらばらにして薄く組み直したフレネルレンズがあり、その上下をプリズムで挟み、左右に引き伸ばして円柱の形に作っている。ようするに全周がレンズという代物だ。等級は厳密にいえば焦点距離を、おおまかには大きさを表し、第一等は最も大きい。展示されている不動レンズは高さ3.05メートル、直径1.85メートル。灯器が入っていたというレンズの中は、椅子と小振りな机を置いて原稿が書けそうなくらいの空間がある。こんな興趣あふれる部屋では気が散って原稿どころではないだろうけど。

 この不動レンズは、生まれて百五十年近くの長い歳月を経ている。フランスで製造され、明治9年(1876)ごろに宮城県の金華山灯台で使われた。大正12年(1923)に神威岬灯台の二代目レンズとして移設され、昭和35年(1960)の灯台建て替え後は、遠く大阪のレジャー施設「みさき公園」に運ばれ、展示されていた。時の流れでみさき公園は運営会社が撤退していったん閉園の運びとなり、レンズは落ち着く場所を失う。これを知った地元の人々が運動して去年、約60年ぶりに神威岬に帰ってきた。長い時間を歩んだ不動レンズは、遺すべき貴重な産業遺産と言えよう。

 しばしレンズに見惚れたあと、(なんと)積丹町の町長から灯台についていろいろご説明をいただいた。伺った内容はとても興味ぶかかったが、「灯台は町の誇りです」という言葉がとくに印象的だった。レンズの里帰りも、誇りを取り戻すための運動だったのかもしれない。

2023.09.16(土)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年9,10月号