アンナ ママがボケちゃうかもと思ったからいろいろやってたんですけど、やっぱり限界があって。東京はいろんなものが無限にあって、選び放題じゃないですか。自分のその時の状態に合うものを自由に選んでいけるのが都会で。
父の生前からお付き合いがあって、なにかあるとすぐに来てくれた真鶴の方たちとは、関係もよくて、人間関係でトラブルが起きたということはないんです。ただ、私はいつも忙しくしたり、人に会うのが好きだし、誰かと話していることにすごく救われていることがたくさんあって。
移住の決定打となった「事件」
ーー真鶴での暮らしで感じていたモヤモヤが、積もりに積もって。
アンナ それで、ボイラーが故障したんですよ。12月25日に東京での用事をすべて終わらせて、年末年始を過ごすために食材を買って真鶴の家に帰ったら、ボイラーが壊れてたの。ボイラーがダメになったらエコキュートに切り替えられるようにしていたんだけど、それも壊れていて。「なぜ? どうしたんだろう?」って、原因究明に6日間も掛かったんですね。
原因は、4階のリフォーム業者の方が配線を間違えちゃったみたいで。年末に特別に業者さんが来てくれて、直していただきました。
ーーその間は、お風呂に入れなかったわけですか。
アンナ はい。毎日、お風呂難民。まず、向かいのお家の方が貸してくれて、その後、隣の方も。みなさん、おうちを別荘として使ってる方々で、東京で仲良くさせてもらっているんだけど、わざわざ鍵を持ってきてくれて「使って、使って」と言ってくれて。
あとは湯河原温泉とか奥湯河原に行ったりしたんだけど、真冬だから行くまでが寒いのよ。温泉に浸かっても、帰りがまた寒くて辛かった。お向かいとお隣のお風呂をお借りした時も、1時間くらい暖房を付けて、お部屋も温めさせてもらって。
家っていうのは、どこか1か所が壊れるとバババッと続く。「こういうのって、男の人がやる仕事だなぁ」って思ったけど、うちの場合は男がいないから私がやらなきゃいけなくなって。だから、そんなのばっかりですよ。パパが亡くなってからは。
2022.09.11(日)
文=平田裕介