それでますます朝日は意地になっているらしい。オリンピックがいかに金まみれの無用の長物だったか、キャンペーンを繰り広げるようになった。週刊朝日も含めて、知識人といわれる人たちが、口を極めてオリンピックを否定していく。
このあいだは記者までが、
「これほど国民からかけはなれたオリンピックがあっただろうか」
と書いていて呆然とした。
だけど開会式も競技も高視聴率。あれだけ多くの人がテレビを観てたんですが。
私は思うのであるが、オリンピックをやってよかった、とても楽しかった、という人たちは違う意見の人たちに対して寛大である。
「いろんな考えの人がいるんだね」
というぐらいのものだ。
しかし反対派は、賛成派に対しては攻撃的。怒りさえ持つ。なんと無知、無見識だと。
「オリンピックを擁護した文化人、芸能人は責任をとれ」
が、人が感動したことを誰に咎める権利があるだろうか。本当に感動し面白かったのだ。そしてそれはパラリンピックにも続いている。パラリンピックをこんなにじっくり観たのは初めてだ。そして目が離せなくなった。
「オリパラ開催できてよかった」
今朝友人から長いLINEが。
「朝からしとしと雨が降りしきりパラリンピックの陸上選手も大変そう。
オリンピックの画面と自宅の窓外が同じお天気、というのはもう人生で二度と体験できないと思うと雨ひとつすら感慨深いです。
オリパラ開催できてよかったと思います。今回初めてパラリンピックを真剣に見ました。コロナ禍で心が折れる日々が続くなか、パラリンピックの選手の奮闘ぶりを見ていると、オリンピックとはまったく質の違う、もっとパーソナルな感動を覚えます。私も一緒に頑張りたい、
いや、頑張らなくてはという気にさせてもらってます」
「それぞれの障害の中で精一杯、ただただひたすら努力している人たちの祭典である。その正しさと美しさ。現実社会ではいまだ成し得ていない正しさ(フェアネス)がここにはあります」
2022.03.29(火)
文=林 真理子