「Look Back」が示すダブルミーニングとは?

 ひとつは、かつて藤野が京本のハンテンの背中部分に書いたサイン。「読む人がいるからプロになる」とはよく言ったもので、このサインによって、藤野が漫画家になる運命が決定づけられたといってもいい(この部分で、藤野の運命を変えたのも京本であり、藤野と京本が互いに影響を及ぼし合っていることが強調される。これは、藤野が自らを呪う「私のせい」の否定でもある)。

 つまり、「背中を見る(Look Back)」ことは、“原点”であるあの日を思い出すことでもある

 そして、「背後を見る(Look Back)」ことで、何が起こるか。自らの後を追う、作り手たちの姿が見えるのだ。「京本も私の背中見て成長するんだなー」という藤野のセリフにある通り、藤野に影響され、ものづくりを志す後輩たちがごまんと出てくるだろう。それは『妹の姉』でも描かれたテーマである。作り手は、誰かの目標となり、心を、人生を救うことができる。何ひとつ、無駄なことはないのだ。

 ここで明かされる、藤野の名前も絶妙だ。「歩」。その名の通り、彼女は再び歩み始めていく。そしてそこに、連載休止中の彼女の漫画『シャークキック』のセリフがオーバーラップする。「シャーク様の出番だぜ!」、そう、いまこそ彼女の漫画の出番なのだ。

 そこを踏まえてクライマックス部分を読み返すと、「蹴って蹴って生き延びろ!」がキャッチコピーの『シャークキック』は、「あり得たかもしれない未来」の中で、通り魔犯人をキックで撃退する藤野とも重なっていく。

 だが、それは「あり得たかもしれない未来」の話。現実世界で遺された彼女にできることは、何なのか。それはやはり、描くことに他ならない。悪意を退け、未来を護るのは、創作の力。表現者の存在意義だ。

 『ルックバック』は、4コマ漫画を仕事場に飾り、再び漫画を描き始める藤野の後ろ姿で幕を閉じる。床には雑誌やDVDらしきものが乱雑に置かれており、そのうちのひとつは、クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(パッケージを見る限り、ブルーレイ&DVDセット(初回生産限定)だろうか?)。

 この映画は、人気女優シャロン・テート殺人事件という“現実”を、映画の中で“なかったこと”にする痛快な「映画の逆襲」を描いた作品だ。まさに、『ルックバック』の後半のテーマにシンクロするのではないか。日本でのリリースは2020年だから、京本の葬式から年月が経っているなか、藤野は描き続けていると推察もできる。

 また、「TUAD」という文字が書かれた雑誌も。これは、東北芸術工科大学のこと。藤本氏の母校であり、隣に置かれている「ジャンプ」と共に、ルーツといえる存在だ。

 そして、一番手前の雑誌には「In Anger」という文字。これは人気バンド、オアシスの「Don't Look Back In Anger」を示しているのだろう。この曲は今や、テロ事件の哀悼歌としても知られている。これは、先ほど述べた“現実”とのリンクを示すものだ。作品に込めたメッセージを内包した言葉といえる。

 コロナ禍に入り、国内においては「芸術は不要不急」と言われ、虐げられた。だが、そんなことは決してない。

 理不尽を中和し、混沌の闇に一条の光を灯すのは、芸術に託された大いなる務め。先達の作品を糧に、自らの“歩み”を宣言する『ルックバック』は、この先もっともっと多くの人々が追いかける“背中”となるだろう。

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SYO

映画ライター・編集者。映画、ドラマ、アニメからライフスタイルまで幅広く執筆。これまでインタビューした人物は300人以上。CINEMORE、Fan's Voice、映画.com、Real Sound、BRUTUSなどに寄稿。Twitter:@syocinema

2022.01.05(水)
文=SYO