「彼岸と此岸」について深く考えるきっかけ

――表裏一体の関係性といいますか……。

 そうですね。今年「彼岸と此岸」について深く考える年になったきっかけは、3月11日に京都の清水寺でパフォーマンスを行ったことです(人が亡くなってから朽ち果てるまでを9枚の絵で表現した平安時代の絵画「九相図」をモチーフにした奉納舞「Re: Incarnation」)。清水寺を訪れてリサーチしていくなかで、ここは生死、特に死というものを司っている空間なんだということがわかり、そこをコンセプトに立ち上げていきました。

 いつの時代も、人は死というものをどういう風に受け入れようか本当に四苦八苦しています。たとえば宗教によって死に対する距離感や恐怖を和らげようというもの。「輪廻転生」や「天国・地獄」といった、違う価値観に転換させようというものも、その表れですよね。そして、これらは「いまをどう生きるかによって、どういう風に死を迎えられるか」という考え方でもある。

 現代においては、そういった共同幻想みたいなものが、かつての宗教から科学技術に取って代わったように感じます。例えば脳のデータをコンピュータ上にアップロードしてしまえばもう肉体という存在は必要ないよね、みたいな、意識としてはいつまでも生きていられるという思想はいまやマッドな話じゃなく、リアルなものとして存在している。いずれにせよ、ずっと死と向きあってきた人類のそれらは、「生きる」ことに直結するわけです。

――チェルフィッチュの岡田利規さんが作・演出を務めた舞台『未練の幽霊と怪物』も、“死”を描いた作品ですね。

 夢幻能(霊的な存在が主人公となる能。生者のみが登場するものは「現在能」)は、現世にはいるはずのない存在が立ち現れるものですからね。そういった作品に携わることで、「自分は死というものにどう向き合うか?」を自然な流れとして考え続けることになっています。

2021.11.04(木)
文=SYO
撮影=榎本麻美
スタイリスト=杉山まゆみ
ヘアメイク=須賀元子