――現在は、脚本家の事務所「sacca」に所属されていますが、所属することになったきっかけは?
「とくお組」の劇団スタッフに、芸能事務所のマネージャーをやっていた人がいたんです。
僕が「ドラマや映画の脚本家にもなりたいし、劇団もずっと続けていきたい」と言ったら、「世の中には脚本家事務所というのがあるから、そこで面倒を見てもらうのがいいんじゃないか」って。
それで、事務所の人を劇団の公演に招待して、観てもらったんです。
その人が今の事務所のチーフマネージャーで、公演の後に僕の目標や仕事への意気込みをお話ししました。
その時は、なんかピンときてなさそうだったんですけど(笑)、「お試しで始めてみますか」みたいな感じで所属することになりました。
――巡り合わせがいろいろとすごいですね! 徳尾さんにとって「転機」はいつですか?
脚本家としての転機は、2013年にNHKの「ハードナッツ!」という連続ドラマの脚本を書いたことです。
書いたのは1話分だけなんですが、この時から僕の脚本家としての人生が拓けたと思います。
実はそれ以前の5年間くらいは、ドラマの仕事をほとんどしてないんです。
事務所に所属してから、チャンスはいっぱいあったんですけど、何をやってもうまくいかなくて……。
――そんな時期があったとは、意外です。どんな経緯でその脚本を書くことになったんですか?
「ハードナッツ!」は、3番目の脚本家として呼ばれたんです。
このドラマが、数学の知識を武器にした推理ドラマだったので、大学時代の専攻が数学だった僕に白羽の矢が立って。
数学の知恵を貸してほしい、トリックを考えるのに協力してほしい、というのが実際に呼ばれた理由でした。
だから僕も、あくまでお手伝いの立ち位置で協力していたんですが、「1話でもいいから書かせてくれ」ってプロデューサーに頼みなさいって、マネージャーが言うんですよ。
その時は、「えー、そんな雰囲気じゃないし……そんなことをお願いする意味がわからない」って理解ができなかったんですが、結局は1話分を書かせてもらうことができたんです。
そのおかげで、僕のプロフィールには「NHKの連続ドラマ」という実績が加わることになりました。
それをきっかけに、いろんな仕事の依頼が増えてきて、脚本家としてのキャリアも軌道に乗り始めました。
やっぱり脚本家にとって大事なのは、“実績”なんですね。
だから、たった1話なんですが、この1話が本当に大きな転機でした。
――初めてのNHKドラマのお仕事はいかがでしたか?
最初に書いた脚本は、ぜんぜん良くなかったんです。
でも、そのときのプロデューサーがすごく優しくて優秀な人で、丁寧で的確なアドバイスをくれるんです。
「ここはこの部分が良くないから、このシーンとこのシーンを入れ替えて、ここをこう直してきて」みたいに本当に細かい指示でした。
で、言われた通りに直すと、すごく良くなるんです。
――すごい方なんですね。
出来の悪い脚本を、良い脚本にできるプロデューサーは非常に限られていると思います。
だからその時のプロデューサー、東宝の方なんですが、めっちゃ感謝してるんです。
先方は忘れてると思いますが、僕はずっと恩人だと思っています。
2019.08.30(金)
企画・構成=FUNFUN
文=濱野奈美子
撮影=佐藤 亘