「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告(後篇)
文=村上春樹
この前に熊本に来たときに、いろんな場所を訪れて、その記事を『クレア』に掲載し、また『ラオスにいったい何があるというんですか?』という僕の旅行記(みたいなもの)に収録したのだけど、そのときに訪れた場所を再訪し、地震の被害状況をこの目で確かめに行きたいというのもまた、僕らの来熊(「らいゆう」と読む。熊本県人以外にはまず読めないんじゃないか)の目的のひとつだった。
この前に朗読会をやったとても小さなインディペンデント書店「橙(だいだい)書店」は地震によってすべての本が床に散乱したものの、建物自体は無事だった(とはいえ近々引っ越すそうだけど)。看板猫の白猫しらたまくんも、恐怖のために一時期トラウマを負っていたものの、今では昔通りに回復し、ちゃんとお店に「出勤」して、看板猫の役目を果たしている。よかった。
熊本は書店の多い街だが、「橙書店」だけではなく、ほとんどの書店は無事に営業を再開し、いつも通りの賑わいを見せていた。書店の多い街というのは気分がいいですね。ただこの前、僕が立ち寄って少しだけ本にサインをした「カッパの書店」こと「金龍堂まるぶん店」は、繁華街のど真ん中にありながら、シャッターをぴたりと閉ざしたままだった。たぶん建物に何か不具合があったのだろう。シャッターには街の人々からの「カッパがんばれ!」のメッセージがたくさん貼り付けられていた。がんばっていただきたいと思います。
それから夏目漱石が熊本で最後に住んだ家屋(漱石は4年3カ月熊本に住んだが、その間に6回も引っ越した)は、古い木造家屋だけあって、あちこちに痛々しい被害を負っていた。塗り壁がごっそり剝がれ落ちて壁の向こうが見えていたり、屋根瓦が落ちてなくなったり。でも建物の構造自体にはとくに大きな被害はなかったそうで、僕としてもほっとした。手直しをすればたぶん元通り近くに修復できるのではないか。明治時代からそのまま残っている昔ながらの日本家屋だけど、そのタフさには敬服してしまう。タフと言えば、漱石が5番目に住んだ「坪井の家」も、後世になって隣にくっつけて増築された洋館はすっかり崩れてしまったのに、漱石が住んでいたもともとの和風の家はほとんど傷つかずに残ったということだ(ただし今のところ「要注意建物」と認定されて、一般公開はされていない)。移築補強された「大江の家」(漱石が3番目に住んだ家)は壁が少し崩れただけで、これもしっかり健在だった。漱石ファンのみなさんはほっとされたことだろう。しかし明治時代の熊本の貸家はみんな立派な作りだったんだなと感心してしまう。
2016.12.08(木)
文=村上春樹
撮影=都築響一
旅の案内=吉本由美