自分にとっては何気ない話が、相手には「マウント」と受け取られてしまうことがあります。悪意がなくても、ただ存在しているだけで誰かの劣等感を刺激してしまうことも。では、そんなとき、相手の感情にどこまで配慮すべきなのでしょうか。
脳科学者・中野信子さんの著書『ロンドン紳士と脳科学に学ぶ 品格のあるマウントの取り方』(日経BP)より、一部を抜粋してお届けします。
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「貴方の存在そのもの」が誰かへのマウントになってしまうとき
この世に生きている限り、「貴方の存在そのもの」が、誰かにとってのマウントになり得ます。私たちは、ただ生きているだけで、誰かの心を傷つけてしまう可能性を常に孕んでいるのです。
「子供ができました」「結婚しました」といったライフイベントの報告はもちろん、若手が放つ「力仕事は任せてください」という頼もしい申し出や、多忙を極める執筆者の「原稿の執筆が思うように進まなくて」という愚痴に至るまで。
これらは一見、単なる事実の記述に過ぎません。しかし、受け取り手が劣等感や欠乏感を抱いている瞬間、それらはすべて鋭利な「マウンティング」へと変質します。
「家を買った」という喜びを後輩に語り、過剰な拒絶反応を食らう。「専務の送別会」の準備で盛り上がっている最中、呼ばれなかった同僚から「なぜ私は呼ばれないのか」と詰め寄られる。こうした場面で、私たちは往々にして「実際そうなんだから、しょうがないじゃないか」と開き直りたくもなります。
しかし、その「しょうがない」という居直りこそ、火種を大きくする原因になりかねないものでもあるのです。品格あるマウンティングを心がけるなら、これは知性の放棄といっても過言ではないでしょう。
会話の中で難しい表現をあたかも一般的な用語のようにカジュアルに使いこなすこと、伝統芸能を(にわかでなく)愛好していること、著名人とやり取りがあること、皆の憧れの人と親しくしていること……これらはまるで、持っているだけで自分を引き上げてくれるハイブランドの新作バッグのようなものです。
けれどもそれを用いるとき、時と場所には注意する必要があるでしょう。
それらを無防備に、考えなしに開示してしまうのは、周囲に対して「私は貴方とは違う階層にいる」というメッセージを不躾に送ってしまうのと同じことです。強い言い方をあえて選んでもよければ、まさに「宣戦布告をしているのと同じ」と受け止める人がいてもおかしくない。「マウントをとるほうが悪い」と、多くの場合は糾弾されてしまうでしょう。
