日本初の女優として知られる川上貞奴(かわかみさだやっこ)は、伊藤博文らが推す芸者でした。俳優の川上音二郎と結婚した貞奴は、アメリカの舞台で“狂気の芸者”を演じたところ、現地の人々から大絶賛。あのピカソも虜になったという伝説の女性です。しかし、そんな華やかな偉業の裏には、あまりにも破天荒で愛おしい素顔がありました。

 偉人の功績だけでなく、あまり知られていない「やばい」一面も紹介し、「歴史が面白くなる!」と話題を呼び大ヒット中の書籍『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』(ダイヤモンド社)より、世界を魅了した大女優の「豪快すぎる一生」を抜粋してお届けします。

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「日本初の女優」として世界を魅了する

 川上貞奴は、のちの総理大臣・伊康博文などの有力者が推していた日本一の芸者でした。芸者時代、ひそかに岩崎桃介という学生と恋に落ちますが、この初恋は実らず、自由民権運動で有名だった俳優の川上音二郎と結婚。政府をおちょくる舞台で何度も投獄された音二郎は、自由を求めてアメリカ公演を行います。

 はじめ貞奴は舞台裏で手伝いをするだけでしたが、興行師に全財産を持ち逃げされた音二郎に「芸者なら踊れるだろ!」とムチャぶりされ、アメリカで初めて舞台に立つことに。江戸時代に女性が舞台に立つことが禁止されたため、日本には女優がいませんでしたが、アメリカでは女優が人気だったのです。

 「芸者と武士」という演目で狂気の芸者を演じた貞奴は「なんて素敵なジャパネスク!」と大絶賛され、日本初の女優として世界中で知られるようになりました。

  1900年にはフランスのパリ万博でも演技を披露し、貞奴の着物風ドレスは「ヤッコドレス」とよばれ、フランスで大流行するほどに。貞奴は帰国後、もっと女性が舞台で活躍できるよう「帝国女優養成所」を作り、若い人たちを育てました。

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