帝国の繁栄、壊滅的な震災、独裁と革命。ポルトガルの歴史が大きく動く舞台であったリスボンの街を歩きながら、風景が語りかけてくる物語に耳を澄ましてみる。
世界の果てを目指した首都リスボンの足跡を辿って
紀元前にこの地で交易していた古代フェニキア人の“安全な港”という言葉に由来を持つリスボン。その名の通り、古くから様々な変化を受け入れ、そしてまだ見ぬ世界の果てを目指して大洋に漕ぎだした拠点だった。
大西洋へと注ぎ込むテージョ川の河口に広がるこの港街には、今もどこか包み込むような空気がある。異国の旅人を静かに迎え入れるやわらかな気配。初めて訪れたのに、帰ってきたような感覚を覚えるのはそのためかもしれない。
決して歩きやすいとは言えない石畳、古びたアズレージョ、陽光が降り注ぐテラコッタ色の屋根にはこの街が生きてきた時間が刻み込まれている。
ポルトガルが栄華を極めた大航海時代。ヨーロッパ各国に先駆けてレコンキスタを終えていたポルトガルは、15世紀になるとアフリカへ勢力を広げるべくイスラムの天文学や造船技術を駆使して航海に出た。当時“暗黒の海”と恐れられていたボジャドール岬を強い信仰心を支えに越えて以降、ポルトガルは欧州の端の小国から世界の覇権を握る海洋帝国となる。
アフリカ、インド、果ては東洋まで広がる植民地支配がもたらした富は、精緻な彫刻を施したジェロニモス修道院や数々の宮殿、王族の宝飾品へと姿を変えた。当時の財宝は現在「王室宝飾博物館」に収蔵されており、王族の豪奢な暮らしを今に伝える。
その一方で、富の消費に終始し植民地支配の体力も底をつきはじめたポルトガルは徐々にその国力を衰退させていき、16世紀後半にはスペインとの同君連合下に入り華々しい時代は終焉を迎える。
1755年、栄華の残り香の中にいたリスボンの街に追い打ちをかける出来事が起きる。「諸聖人の日」を祝う朝に起きた大地震と大津波、蝋燭の火による大火災だ。人口の4分の1が犠牲となり、キリスト教の祝日に起きた災害ともあって欧州中のキリスト教信者に衝撃を与えた。
宮殿は瓦礫となって跡形もなくなり、知力と国力の象徴だった図書館なども次々と燃えてゆく。リスボンの歴史が「震災前/震災後」で語られるほど、この災害は時代の転換点となった。
震災後、精神的に衰弱した王に代わり、現在に至るリスボンの街の礎を築いた人物がいる。当時の王政で宰相を務めたポンバル侯爵だ。
かつての街並みを再建するのではなく、碁盤の目状に整理された直線的な構造と開放的な広場を街に導入し、世界に先駆けて近代都市化を進めた。今リスボンにある街角のほとんどはこのころに整備された構造の上に成るものだ。
CREA Traveller 2026年夏号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。
