「余白に意味がある」日本美術とマンガの共通点
三宅さん おうかがいしてみたかったのが、日本美術やその歴史を研究されてこられた彬子さまからは、「マンガを読む」ことや「マンガカルチャー」がどう見えてらっしゃるのかなということです。
彬子さま そうですね、私はいつも何かこう「読んでいないと落ち着かない」んです。本にしろ、マンガにしろ。もしひとりで部屋に取り残されるとなったら、ペットボトルのラベルを読む(笑)。純粋に活字中毒なんだろうなと思うんです。
三宅さん いま本好きの人たちがみなすごい親近感を感じてしまうお話が出てきました(笑)。ちなみに、本の中には彬子さまがアメリカやイギリスでよく博物館に足を運ばれた様子が出てきます。
彬子さま 私も大英博物館に長くおりましたので、作品を直接見られるありがたさは感じていました。ただ、実はアメリカの美術館や博物館は、その作品を研究する人はキュレーター、作品を管理する人はレジストラー、作品を調査のために倉庫から出してくれる人はハンドラーというふうに細かく役割分担がされているんですね。それに、アメリカでは調査に行っても実際に作品を触ってみることがほとんどできません。
三宅さん 調査研究の場合でもですか。
彬子さま はい。薬品などで何らかの処理をされていることが多いので、実際に手で触ることができないんです。調査と言っても、マイクロハンドラーの方に動かしてもらって観察する格好で、実際、保存保管に強い薬品を使うので、たとえばその茶碗にお茶を入れて飲むことは二度とできません。
その点、日本では公共の博物館や個人のコレクションの博物館でも、その展示品を出してお茶会をしてくださったりするんですね。以前、大英博物館の伝統工芸展で行われた、博物館のコレクションの壺に実際に花を生けるイベントは、会場に入りきらないぐらいのお客さんが来訪されました。やはり、日本の「用の美」というか、実際に使うという文化にびっくりされる方が多いんです。
三宅さん これはエッセイの方に出てくるエピソードですけれど、絵画も器もちょっと日が射したり暮れたり、太陽や雲の影が映るとまた見え方が変わる、その変化に喜びを見出すという描写が本当に大好きで。西洋みたいに、美術品がある意味で権威を示すために使われ、1回掛けたら飾りっぱなしというのとは違うな、と思いました。アートはこういうふうに見ることもできるのだと、私は彬子さまの文章を通して発見することがありました。
彬子さま やはり国宝級の器でお茶をいただいたりすると、手を通じて何かが伝わってくるような気もしますし、もしかしたら千利休がこれを持っていたかもしれないと思うだけで昂ぶりますよね。
三宅さん 桜を見て去年の春を思い出すとか、ふとしたきっかけで古(いにしえ)のことに思いを馳せるというような心情は、和歌でもよく詠まれます。時間は積み重なっていくものだという感覚は、わりに日本人的なものかなと。そうやって時間が圧縮され、そこから広がるというのは日本独自のものかもしれないと思ったり。同様に、受け継がれてきた美術品や工芸品などの中に、そういう人々の思いが押し詰められている感じがしますね。
彬子さま 日本の美術品は布や木や紙のものも多いので、何百年も伝わってきたとはいえ、破けたり汚れたりはあります。けれど、ボロボロだから捨てるっていうことではなくて、お金をかけてでも修復して伝えていきたいという思いが続いている、その結晶ですよね。
そう考えると、どんな作品にも物語があって、それが現在につながっていることに感動します。当時のものがもう一部しか残っていない場合も、先達はどういう思いがあったのかと探偵みたいな気持ちになって、かけらすらなんとか直して後世に遺そうとする姿勢が純粋にうれしいです。
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マンガ 赤と青のガウン 第1巻
新潮社 原作 彬子女王/漫画 池辺葵 1,540円
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文=三浦天紗子 写真=平松市聖


