小泉八雲と妻セツをモデルにしたNHK連続テレビ小説『ばけばけ』が、惜しまれつつ最終回を迎えました。

 主人公トキ(髙石あかり)に比べて、晩年の夫・ヘブン(トミー・バストウ)の老け込み具合に視聴者からは驚きの声があがりましたが、じつは史実どおり。

 『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)から、病を得た八雲の容貌の変化、そして年下妻セツに対しての“母の愛を求めるような甘え”、八雲の臨終の様子までを紹介します。(全3回の2回目/3回目「ばけばけ」では描かれなかった“その後の悲劇”を読む)


夫の病と心労

 ハーンは、ディオジー宛に手紙を書いてから幾いく何ばくもしない5月に、喀血(かっけつ)を伴う気管支炎を患い、掛かり付けの医師の木沢敏さとしから当面の談話を禁じられ、最大の道楽であった喫煙を断たれ、その夏の焼津行きを差し止められた。

 健康の衰えは、「遺族」への気遣いを倍加させる。9月10日に寿々子(すずこ)が生まれた時には、「涙ぐんでいました」とセツが語り、「ああ、金、金」……「私 金要りません、ただ妻子のため」という当時の言葉は、一雄を気遣わせた(『父小泉八雲』)。一雄やセツ、それに下の幼い3人の子の将来を、あまりにも気遣う愛情故の心労が、彼の容貌を大きく変えてもいる。すでに一雄は火葬場の煙とともに、父の帽子からはみ出ている「頭髪の冷い銀灰色」に不安を覚えた。そして、最期が近づいた頃だが、「めつきり頰が憔け、髭や髪は白くな(った)」父を意識している(『父「八雲」を憶ふ』)。「1904年」と記された「最晩年の写真」は、それを正確に映してはいないだろうか。

名作大作の執筆

 驚くべきは、この悲劇的とも言える晩年こそ、ハーンが、その著述生活において、最も生産的であったことであり、また、どの作品にも、衰えや脆弱(ぜいじゃく)さを認めることが出来ないことである。かくして、西大久保転居の年の10月に出版された『骨董』が『心』という名作以降の小ぶりな著作の連続を、断ち切るようにして書かれ、『怪談』(1904・4月出版)・『日本─一つの解明』(同年九月没後出版)・『天の河縁起そのほか』(1905・10月没後出版)と続いた。それらの中でも『日本─一つの解明』と題する大著は、日本学が進歩した今日から見れば、欠点や限界が指摘されようが、彼が生きた時代における日本認識の試み(書名 Japan :An Attempt at Interpretation)として、充分に重みのあるものである。出版された1904年9月(ハーン逝去の月)には、日露戦争が進行中で、それは翌年5月の日本海海戦を経て、「西洋ならざる国」の勝利と帰し、世界を啞然とさせた。『日本─一つの解明』は、日本人の手であれ外国人の手であれ、およそ日本に関して書かれた本の中で、世界で断然最も広く読まれる運命を担った。そして『怪談』は、あれだけ平易な外観を見せながら、その言語表現の彫琢の厳しさにおいて、また創り出された文学的世界の独自性において、ハーン文学の高みを顕示するものとさえ評されている。

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