真っ先に奪われる文化芸術
――劇中では、裕福な音楽家の家庭に育ちながら、空襲と敗戦によってすべてを失い、音楽の話題を振られることすら嫌悪するようになってしまう少女・琴子(小八重葵美)の姿が描かれます。文化的な営みや精神的な尊厳を奪われた子どもたちの苦悩が胸に迫りました。
戦争が起きたとき、もっとも巧妙にイデオロギーが侵入し、真っ先に奪われたり歪められたりするのが文化や芸術ですよね。文学も映画も音楽も、知らないうちに国家のプロパガンダに取り込まれ、大衆もそれを無自覚に受け入れて熱狂してしまう。
そして、ひとたび生活の基盤が破壊されたとき、文化を享受する余裕は一瞬で消え去ります。文化の担い手・表現者であった人たちですら、創作や演奏を続けることができない環境に追い込まれてしまう。
大人の場合は、戦後に生活を立て直す中で再び文化を取り戻す手立てがあるかもしれません。しかし、自我や情緒を形成する決定的な時期に、遊びや芸術、教育から完全に切り離されてしまった子どもたちは、自力でそれを取り戻すことが極めて難しいんです。
――情緒や文化を奪われた子どもたちの内面には、どのような影響が及ぶとお考えでしたか。
文化芸術や豊かな遊びから遠ざけられた子どもたちは、どうしても「今日、明日をどう生き延びるか」という生存本能だけに思考が狭まっていきます。そしてその極限の果てに行き着くのは、「自分(たち)さえ生きていれば、他人がどうなろうと知ったことではない」という冷酷で利己的な発想です。
表現する場や、情緒を育む機会が奪われた子どもたちは、言葉は悪いですが、他者への想像力を欠いた“末恐ろしい大人”に育ってしまうのではないか。だから「文化を奪われることの怖さ」をどうしても描きたいと思いました。さまざまな文化芸術がありますが、映画は音楽の魅力を豊かに表現できるメディアですから、今回「音楽家の娘」という設定を物語のひとつの軸に据えました。
