いまの生き方を変えてみたいーー。そう願う瞬間は誰にでもあるもの。元テレビ東京のアナウンサー・大橋未歩さんは45歳で突然、NYへ移住した。緊張や失敗の日々が続くなか、“生き切る”とは何か。ありのままの姿を描いた『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』(大和書房)から、一部を抜粋してお届けする。3年目にトライしたのは「舞台で話す」こと。ブルックリンで開催された実話を披露するイベントで、大橋さんは自身の人生を語り始めた。

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34歳で早期閉経気味に。医師が漏らした「あと1年早ければ」 

 私は、幼い頃から、母になるのが夢だった。夢というと大袈裟だけど、子どもが好きだし、当然自分は将来母親になるものだと思っていたのだ。仕事での目標だったオリンピックキャスターを北京五輪で無事に終えた30歳以降、母になりたいという方向にますます気持ちが強く傾いていった。

 でもこのときになって初めて、子どもを持つことに関して、当時のパートナーとの間には温度差があることに気づいた。そのことについて、結婚前に十分な話し合いをしていなかったことが、その後の人生に影響したのだ。

 私の卵巣機能がかなり弱いことがわかったのは、34歳のとき。そのとき医師に言われた言葉が忘れられない。

「あと1年早くくれば良かったのに。これは早発閉経気味ですね」

 頭をガツンと殴られて、膝から崩れ落ちる感覚だった。顔色を失っている私を見て、隣にいた看護師さんが励ましてくれた。

「今まで薬とか使ってないなら、すぐに治療を始めればまだ望みはありますよ」

 藁にもすがる思いで、不妊治療を始めた。

 その3ヶ月後、私は脳梗塞になった。

 脳梗塞になると再発を防ぐために血液の流れを良くする薬を服用する。出血が止まりにくくなるから、卵巣に針を刺す採卵もできなくなった。このとき、みっともないけど、入院している病床で泣きながら脳梗塞の主治医に懇願してしまった。

「なんとか採卵をさせてもらえませんか。時間が、ないんです……」

 採卵とは、卵巣から外科的な手段を用いて卵子を採取すること。卵子は、1ヶ月に一度、卵巣から放出される仕組みになっている。そこで、卵子と精子が出会えれば、新たな命の核となるけれど、私の卵巣機能が弱っているので、卵子がきちんと卵巣から出ていってくれない。すると当然、精子とも出会えない。だから卵巣に針を刺して、卵子を採取して、シャーレの中で人工的に精子と出会わせる。正常に受精すればその受精卵を子宮に戻す。これが体外受精。

 もちろん、医師の答えはNOだった。子どもを産むには健康な母体があってこそ。私の場合は脳梗塞にきちんと対処するのが最優先だ。ご縁があり素晴らしい脳外科医に出会い、脳梗塞の再発を防ぐために首にステント(血管を内側から広げて血流を確保する小さな筒状の医療器具)を入れることができた。これでまず一安心。

 でも、その間も、ずっと卵巣のことが気がかりだった。不妊治療科の先生にもセカンドオピニオンとして診てもらったけれど、その先生も言いにくそうな顔をしながら、

「この数値は……以前、卵巣の病気とかしましたか? してないんですか……これは病気をしたのかなっていう数値ですね……」

 医師にも驚かれる始末。やれやれ。

 早発閉経気味に脳梗塞。強敵がダブルで訪れてくれた。厄年とかあまり詳しくないけれど、どう考えたって今年が厄年だ。たぶん、本厄でもあり、前厄でもあって、なおかつ後厄でもあるに違いない。御仏壇に備えた和菓子をすぐに食べてしまうのも良くなかったか。

 今振り返っても、このときは人生で一番しんどい時期だったと思う。

 8ヶ月後、脳梗塞による休業から会社復帰した。不妊治療も再開していいとの許可を得た。

 卵子の数は生まれたときに決まっていて、それは年齢とともに減り続ける。逆に精子は、質に変化はあれど高齢になっても作られる。私の卵子はたまに採れても、なかなか次の段階に進めなかった。卵子がまず採れて、それが受精して、その受精卵が4分割、8分割と順調に分割していって、胚盤胞というものに育って初めて子宮に戻すことができる。子宮に戻しても一安心ではない。その後、着床といって、子宮にちゃんとくっついてくれて、それが無事に育ってくれると、新たな命となって生まれる。

 もう気の遠くなるような段階を経なくてはならないのだ。改めて、命の誕生とは奇跡の連続の結果だということを痛感する。

 不妊治療を始めた初期に一度、受精卵が胚盤胞に育ってくれたことがあった。その直後に脳梗塞で倒れてしまったのだけれど、回復後に満を持して子宮に戻して、着床までは進んだ。しかし結果は初期流産。その翌日が大型音楽番組の生放送だった。朝、流産処理の手術をして、午後はリハーサル。妊娠検査薬もはっきり反応しないほどの初期段階の流産だったから、もちろん午後も働けた。誰に強要されたわけでもない。

 ただやはりそんなとき、割り切れない感情が去来してしまうのだ。医師から言われた一言が頭の中にこびりついて離れない。

「あと1年早ければ」

 不妊治療というのは、男女ともに、大きな身体的、精神的負担を強いられる。だからこそ、2人の温度感が違えば、孤独を感じたり、摩擦が生じたりしてしまう。結局、私たちはたくさん話し合って別れることになった。が、ここで強く言いたいのは、温度感の高低に善も悪もないということだ。2人にとって何が大切なのか、結婚前にちゃんと意思確認をしておくべきだった。それでも、あの時間を一緒に過ごしてくれたことには、今も心から感謝している。彼の幸せを、これからも願い続けたい。

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ニューヨークの林檎をむいて食べたい

2026年7月23日
定価 1,980円(税込)
大和書房
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