ほぐれているのは筋肉だけではない。
会話は疲れるけれど、どこかでコミュニケーションを喜ばしく思っている自分がいるのも確かだ。いつも担当してくれている女性は10歳の息子に彼女ができたと教えてくれて「早すぎない!? え、今どきってそんな感じなんですか!?」と二人で盛り上がった。うつぶせの姿勢で穴から顔を出し、床を見つめながら「おませさん!」と叫ぶ。
通常は素性をあまり語りたくない私も彼女には少し気を許していて、「デスクワークと、0歳の抱っこで肩がつらくて……」と個人的な事情を話したことがある。すると「うちも男の子4人いるからすごくわかります!」と言われ、誰に揉ませとんねんと申し訳なく思った。仕事をしながら4人のやんちゃな男の子を育てているなんて、彼女こそ全身バキバキなはずだ。以来、この方に施術していただくときは気持ち的にも背筋が伸びている。頻繁に行くのは甘えかなと思って、しっかりと疲れが溜まった状態で予約するようになった。コリを育てて、彼女に恥ずかしくない肩で来店したい。
その人は肩甲骨はがしが特別うまい。かつて「肩甲骨はがし」という字面に恐れ慄いていた私も、今では安心してはがされている。いや、べつに物理的にはがれるものではないのだけど、肩甲骨まわりの筋肉をほぐして可動域を広げるストレッチを一般的にそう呼んでいるのだ。
「そろそろはがしときます?」「ではいっちょ、はがしてください」。私の肩甲骨はあらゆる方向からてきぱきとほぐされていき、肩がまわるようになると同時に気分も軽やかになる。ほぐれているのは筋肉だけではない。最近背負っていたプレッシャー、まとわりつく不安、泣きたい気持ちなどが身体からはがれていく。
整体サロンの仕事は過酷だと思う。私なんかは、家族に肩を揉んでと言われたら5分でも長く感じる。エステティシャンになった知人は、3ヶ月で腱鞘炎になって辞めざるを得なかったと言っていた。
しかし肩甲骨はがしがうまい担当の女性は、いつも施術が終わりそうなタイミングで「あと10分延長します?」とか「ヘッドマッサージもつけときます?」などと提案してくれる。すでに数十分揉んだのにまだ揉めるのか。私が揉む側なら、タイマーを見つめながら早く時間がこないかなとばかり考えてしまいそうだ。提案ありがとうという気持ちとともに、それが彼女にとっていいことなのか悪いことなのか分からず戸惑い、結局は財布と相談して延長せずに帰宅する。
いつか120分コースを予約した暁には、私は会話をフェードアウトしてさっさと眠りにつくから、どうか手を抜いて少しでも休んでほしいという気持ちも確かにあるのだった。
藤岡みなみ(ふじおか・みなみ)
1988年8月9日火曜日生まれ。文筆家、ラジオパーソナリティ。時間SFと縄文時代が好きで、読書や遺跡巡りは現実にある時間旅行ではと思い、2019年に移動店舗としてタイムトラベル専門書店utoutoを開始。2025年には東京都板橋区に築109年の蔵を改装した実店舗をオープンした。主な著書に、異文化をテーマにしたエッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』(6/11に文庫が発売)、持ち物ゼロから暮らしを再構築する『ふやすミニマリスト』、37年を366日に組み込んだ『時間旅行者の日記』などがある。
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パンダのうんこはいい匂い
定価 858円(税込)
幻冬舎文庫
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文=藤岡みなみ
