2026年3月27日に最終回を迎えた朝ドラ「ばけばけ」。主人公トキ(髙石あかり)と夫・ヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなった小泉セツ、八雲夫妻の歩みにも様々なことがありました。
1891年、松江を離れ、家族とともに熊本の高等中学校へ赴任した八雲。「神々の国の首都」=松江を愛した男にとって、軍都・熊本はあまりにも異質な場所だった。熊本での生活に戸惑うなか、ある日本人に出会い、敬意を抱きます。
夫妻のひ孫で小泉八雲記念館館長を務める小泉凡さんが2人を語った『セツと八雲』(朝日新書)をもとに、松江を離れた八雲が熊本でいかに苦悩し、何に救われたか、そして八雲の心を動かした二つの出会いについてダイジェスト版でお届けします。
◆◆◆
本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
》<「ばけばけ」には未登場?>「性格は同情心にあふれ、まったくかざらず正直」小泉八雲が熊本で魅了された“近代日本の著名人”
朝ドラ「ばけばけ」の舞台が熊本へと移り、主人公トキのモデル・小泉セツとその夫・八雲の新たな章が描かれている。夫妻のひ孫で小泉八雲記念館館長を務める小泉凡さんが2人を語った『セツと八雲』(朝日新書)では、松江を離れた八雲が熊本でいかに苦悩し、何に救われたかが克明に記されている。「神々の国の首都」=松江を愛した男にとって、軍都・熊本はあまりにも異質な場所だった。
日本で住んでいた中で一番興味のない都市
1891(明治24)年、熊本の第五高等中学校に赴任した八雲が抱いた印象は、率直に言って厳しいものだった。松江の城下町や出雲大社に古き日本の面影を深く刻んだ八雲には、戦災で古いものが失われた熊本の街が殺風景に映った。親友・西田千太郎への書簡に、こう明かしている。
「わたしがこれまで日本で住んでいた一番興味のない都市であることに変わりはありません」
さらに追い打ちをかけたのが、熊本の変容だった。西南戦争の激戦地となったこの地には陸軍第六師団の司令部が置かれ、「兵隊であふれている」と記すほどに軍都としての色彩を強めていく。「変わらぬ自然を尊び、見えざる世界に真理を求める」八雲にとって、電気と蒸気と数字が支配する近代の空気は息苦しいものだったに違いない。
そのような八雲を動かした出会いが、二つあった。一つは校長・嘉納治五郎との邂逅である。柔道の父として知られるこの人物について、八雲は西田への手紙でこう記している。
「性格は同情心にあふれ、まったくかざらず正直です。これは人格のできた人の特色といえるでしょう。一度会っただけで、久しい友であるかのような気がするのです」
もう一つは、元会津藩士の漢学者・秋月悌次郎との縁だ。言葉は通じなかったが、八雲は彼を「近づくだけで暖かくなる暖炉のような人」と表現した。敗れた側の歴史を背負いながら不屈に生き続けたその姿が、アイルランドの記憶と重なったのだろう。
苦悩の多かった熊本時代も、八雲に一つの眼差しをもたらした。軍拡に沸く「明治の日本」という近代国家の現実を、松江にいた頃よりも少し冷静に見つめる視点である。本編では、その熊本での経験がいかに八雲の思想と文学を深めたかが丹念に描かれている。
◆◆◆
本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
》<「ばけばけ」には未登場?>「性格は同情心にあふれ、まったくかざらず正直」小泉八雲が熊本で魅了された“近代日本の著名人”
小泉 凡(こいずみ・ぼん)
1961(昭和36)年、東京都生まれ。成城大学大学院で民俗学を専攻し、87年から曽祖父・小泉八雲ゆかりの松江市で暮らす。小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長、島根県立大学短期大学部名誉教授を務める。著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』(講談社)、『小泉八雲と妖怪』(玉川大学出版部)など。
聞き手 木元健二(きもと・けんじ)
1970(昭和45)年生まれ、大阪府出身。同志社大学法学部卒。94年、朝日新聞社入社。大阪本社学芸部、東京本社文化くらし報道部、週刊朝日編集部(いずれも当時)などに勤務。松江総局に 2021年から3年在籍した。

セツと八雲 (朝日新書)
定価 957円(税込)
朝日新聞出版
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)
