「家族も店もかろうじて無事な自分には、やるべきことがある」
「原町製パン」のある南相馬市は、最大震度6弱の激しい揺れを観測。いつも通り店を開けていた佐藤さんは、津波こそ免れたものの、避難は一刻を争う状況だった。まずは従業員と家族の無事を確認し、店を閉めて、避難所に向かおうとしたその矢先。佐藤さんのもとに南相馬の市役所から一本の電話が入る。
「夜7時過ぎぐらいでしたかね。市役所から“いま店にある給食用の粉と米を使って、パンとごはんをつくってください”と連絡があって。自分たちもまさに避難しようとしていた時だったんですが、何食ぐらい必要かと聞いたら数千食という数字で……。その時に、これはただ事ではないと認識しました」
あらためて状況を確認すると、その時すでに避難所となっていた南相馬市民文化会館には1000人を超える人が身を寄せていた。その中には、双葉や浪江、小高からの避難者も含まれ、津波で家を流された人や、家族とはぐれてしまった人で溢れかえっていて、食べるものもない――そんな状況を聞かされた佐藤さんは、“家族も店もかろうじて無事な自分には、やるべきことがある”と思い直し、店へと引き返した。
「あれだけの大きな地震でしたから、電気も水道も止まっていました。でも、うちには井戸があって地下水をくみ上げることができた。これはもう使命なんだと覚悟を決めて、給食用の工場へ向かいました」
幸い、工場にあった6トンもの大きな釜が動いたため、佐藤さんはすぐに米を炊き始め、黙々とパンを焼き続けた。そして深夜0時を過ぎた頃、1000食以上の食糧を避難所に届けた。ところが、それでもほんの1食分に過ぎず、空になったトラックに市の備蓄米を積み込み、そのまま工場へ引き返すと、再び米を炊き始めた。
「結局、3月11日は一睡もできませんでした。翌日も朝5時には朝食を届け、その後も昼、夜と食事の時間に合わせて休む間もなく作業が続いて……。気づけば、震災が発生したその日から10日間ほど、釜の前で寝泊まりをしながら、毎日3食分のパンとごはんをつくり、避難所に届けていました」
そんな父の姿を見て、息子の浩一さんも店に戻ることを人知れず決意。自らも被災者でありながら、「地元の人たちに愛されているパンを焼き続けることが、地域を元気にする」という親子の思いが重なり、震災からわずか2週間後の3月26日、支援を続けながら店の営業を本格的に再開。その日から「よつわりパン」も復活した。
「営業を再開したものの、南相馬は避難区域だったので人っ子一人いなくて、通るのは自衛隊の車だけ。それでも営業している店は貴重だったので、テレビのテロップで紹介してくれて。その途端、お客さんが一気に押し寄せました。
最初に売れたのは、トンカツやコロッケなど、おなかにたまる惣菜パン。でも、そんな状況のなかでも、よつわりパンを目指して来る人もいてね。私たちにとっても希望になりました」(佐藤さん)
震災で日常が奪われたなかで、“よつわり”は変わらない味の象徴だった。ふわりと甘いそのひと口が、張り詰めた心をそっとほどき、“よつわりに救われた”という声も少なくなかったという。
