この記事の連載

 中井貴一さんが両親を通じて幼少期から触れてきた“小津イズム”。インタビュー中に見せてくださった魅力的な笑顔や穏やかな話し方は、まさに“粋”そのものと言っても過言ではありません。現在63歳になられた中井さんに、これからの人生をどう歩んでいきたいかをお話いただき、さらに、CREA世代の若い女性たちに、人生の先輩としてアドバイスを頂戴しました。

【前篇を読む】中井貴一(63)が挑む名匠・小津安二郎の“粋”な生き方


隣にいる人をひとり幸せにできれば社会は変わる

――(前篇で)年齢の話が出ましたが、今のご年齢になってから分かってきた小津作品の魅力はありますか?

 先日、プログラムの撮影をしたときに演出の行定勲さん、脚本の鈴木聡さんと鼎談を行ったのですが、お二人が「昔、小津作品は分からなかったけれど、年齢を重ねてからやっぱりいいなと思ってきた」とおっしゃったんです。

 僕は生まれてから最初に観たのが、小津映画と父の時代の映画。父は僕が2歳のときに亡くなってしまい、実際の記憶はほとんどなかったので、動いている父親の姿を求めて、幼稚園の頃からそれらを観ていたんです。

 だから、小津先生が作る映画が“映画”だと思っていました。すごく贅沢な言い方ですが、知らない間に小津映画が僕の基準になってしまっていたんです。例えが合っているかわかりませんが、高級料亭の料理を幼少期から食べていたという感じでしょうか(笑)。

 もちろん小津先生の作品がすべてだとは思ってないですし、僕は映画が好きですからいろいろなものを観ますが、僕のベースにあるのは、ここ。僕が最終的に目指しているのは、小津先生に演出をつけてもらうことなんです。

――今回の舞台では、小津調でお芝居をなさるとか?

 お客様が小津映画を知らないと、「なんでみんな棒読みなんだろう」と思われる方もいらっしゃると思うのですが、僕は最終的に最期の映画は、全部棒読みにしたいと思って役者を続けているんです。何もできなくて棒読みで演じるのと、いろんなことができて、あえて棒読みにするのとでは、違うと思うのです。

 例えるならば、画家のパブロ・ピカソは非常に絵が上手いうえで、あの抽象的な描写に行きついているわけです。だから、今自分がやっていることは、とにかくいろんなことができるように勉強すること。そこから、65歳を過ぎたときにまだ役者をやっていれば——あと2年ですけど(笑)、最終的にすべてをそぎ落としていく作業をしていきたいというのが、僕の目標です。

――今回は作品の中でいろんな年齢の俳優さんたちと共演されていますが、若い方、同世代の方、それぞれ一緒にお仕事をされるうえで違いや楽しみがありますか?

 ものすごく変な言い方をすると、僕はずっと「役者って、なんぼのもんじゃ」と思っているんです。映画やテレビの現場に入ったとしても、僕らは“役者部”という部のひとつに過ぎないんです。録音部、撮影部、というのがあるのと一緒。舞台でも同じように思っています。だから、表舞台に立っている役者だけが偉いわけではないとずっと思っています。役者同志も然り、舞台のうえに立てば、年上も年下もありません。昔から年上の大先輩と一緒にやっても委縮することはありませんでした。

 ですから、年下の俳優さんとご一緒していても、常に対等だと思っていますし、僕の引き出しにはない演技を目の当たりにしたときは、家に帰って真似してやってみたりするんですが……これは僕にはできないなぁと(笑)。だから年齢差などは考えたことはないですね。

――CREAは30代の女性がメインの読者です。その世代の女性たちがこれから素敵な人生を歩めるように、中井さんが伝えたいメッセージなどはありますか?

 昔に比べると、ある意味本当に大変な時代になっていると思うんです。利益追求型の社会になりすぎていくと、“お金を得るために何をするか”という社会になっていくわけです。やりたい事の結果が利益(お金)であるべきだと思うのですが、その順序を変えない限り、人は幸せになれないのではと僕はずっと思っています。

 かつて人間は、同じ過ちを繰り返さない“考える葦”であったはずが、今では“考えない葦”だなと思う時代になってしまっています。この先、もっと混沌としていくのではないかという気がします。

――おっしゃる通り、若い人たちが希望を持って生きるのが難しい時代になっています。

 いきなり「社会を変えよう」とか「世界を変えよう」というのは難しいと思います。でも、自分を変えることは可能なはず。そうすると、他人に何をしてもらうかということではなく、“自分がどうあるべきか”を考えれば、少しずつでもいい社会になれるのではないかな、という気がしています。

 例えば一万円があったときに、これを一万人の人が困っているところに寄付したら、一人当たり一円にしかなりません。でも、このお金で隣にいる一人の人に食事をして貰えば、その人を助けることができる。それでいいんじゃないかなって。それで一人が一人を助けることを世の中全員で続けていけば、困っている人が半分になり、1/4になり……と、そういう社会になると、僕は思っているんです。

――自分の身近なところからのスタートでいいということですね。

 人のために生きる、そのために生まれたんだって言われても、正直、「えーっ!」って思うじゃないですか(笑)。だから、まずは一人のためでいいんです。自分以外の誰か一人の人を幸せにできれば。

 いまは軽々しく「未来は明るいですよ」って言えない世界だから、自分が楽しむのは当たり前ですが、読者世代のみなさんよりちょっと長く生きた人間として、そう思います。

2025.06.21(土)
文=前田美保
写真=榎本麻美
ヘアメイク=藤井俊二