結果的に本作は、コロナ禍という特殊な時代性を背景にするものの、その絶望を過剰には描き切らない、切ない余白を残した作品となった。この余白こそが、物語に品位と余韻をもたらし、なにより読者の想像力を掻き立てることに一役買っている。登場人物は多くを語りすぎず、しかし読み手はその表情ひとつから、苦悩や怒りや疲労や悲しみを感じ取り、より深く物語の世界に没入することになる。

 ずっと寂しい。簡単には希望が見えない。それなのに心地よい。濃い影から強く光を感じるような、不思議な読み心地がいつまでも続く。多くの窪美澄作品に共通するものが、今作でもう一段階、深みを増した印象がある。

 もう一つ、全編を通したモチーフとして描かれるものに、星と星座がある。

 最終話の「星の随に」では、〈火の上にはきっと星座が光っていたんでしょうけど(中略)炎の熱と熱さで星座もほどけてしまったんじゃないかしら〉と語られ、さらには〈雲に隠れていたって、星と星とは見えない糸でしっかりと結ばれて、星座の形を保っている〉と締め括られる。ここでいう「星」は登場人物たち自身であり、「星座」はその関係性を表す。単体できらりと輝く星もあれば、星座という星の位置関係を持ってはじめて認識されるものもある。「真夜中のアボカド」では亡くなった双子の妹と主人公を双子座に見立てて語られ、「銀紙色のアンタレス」では告白してきた幼馴染みと海で出会った年上の女性との関係がそれぞれ一等星のように瞬きながらも、星座のように意識しなければ途切れてしまいそうな距離感で描かれる。

 家族も、友人も、恋人も、コロナ禍以降の世界では簡単に関係が途切れてしまう危うさがあることを、私たちは散々思い知らされた。窪さんはその絶望を星座というモチーフを用いて表現し、また同時に、人と人は物理的な距離とは無関係にゆるやかに繋がっていられることも、星に希望を込めるようにして描き上げた。

 二〇二二年に刊行された本作で、窪さんは第一六七回直木三十五賞を受賞した。

2025.03.28(金)
文=カツセマサヒコ(小説家)