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お笑いには「社会的な言葉」、短歌には「自分向きの言葉」を

──ジェロニモさんの言う本当性の低い、言わば借りものの言葉は、裏返せばそれだけ多くの人が共有している、共感しやすい言葉でもあると思います。それは「あるある」のように笑いやすいという利点もあるように思うんです。一方、ジェロニモさんの表現や言葉は「独特」ですよね? それは「笑い」という点ではどう考えていますか?

ジェロニモ 芸人になってみて思うのは、言葉や意味は自分と観ている人との間に置かなくてはいけないということです。そして言葉に「あなたのものですよ」というデザインをする必要がある。だからまず、芸人は「観る人にとって解釈しやすい見た目」であることが重要。そして、この見た目で、かつ舞台上にいるという縛りがあることで、言わなかった言葉が生まれます。「言ってもウケないな」とか「これは自分しか思っていないんだろうな」というものは、どんどん言わなくなっていく。

 そして、なるべく多くの人が「いまの言葉は自分の中にある、自分のための言葉だ」と思うものを選ぶようになります。100人いたらできるだけ100人がわかる、社会性のある言葉を選ぼうとする。それが大衆演芸ですから。そういう、芸人として舞台上にいるときの自分の選ぶ言葉と、自分向きの言葉とは、違うものとして意識している気がします。

──あらかじめ違うものとして。

ジェロニモ ネタを作るときには社会性の高い、伝わる言葉を重視するわけですけど、もしかして自分向きの言葉にも目を向けてもいいんじゃないかな、と思ってはじめたのが僕にとっての短歌であり「説明」です。だからそこでは、「今自分が発した言葉は、申し訳ないですけど皆さんに伝わらないと思うんですよ」と思いながら発することもあるんですよ。でも意外と、「そう思っていたかもしれない」という感想をもらうことがあって。自分としては新しい発見だし、自分の中でもわかりきっていなくて面白いんです。

──思っていなかった共感を得る。

ジェロニモ 「水道水の味を説明する」でも、たとえば「鏡の味」という言葉を「めっちゃわかります」という人もいれば、「マジでわからない」という人もいる。それはネタとしてはウケないものですよね。でも「説明」というジャンルにおいては、誰か一人がそれをいいと思えば別に存在しうるし、仮に誰もいいと思わなくても、自分という人間ひとりが共感しているのであれば、その言葉は自分のための言葉としてはそこに存在する価値があると思います。

2025.02.08(土)
文=釣木文恵
撮影=今井知佑