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児童文学作家・寺村輝夫と出会った「童話創作入門講座」

――寺村輝夫先生と「わかったさんのおかし」シリーズを手がけることになったきっかけは?

永井 20代後半のときに、池袋コミュニティ・カレッジで、寺村先生の「童話創作入門講座」を受講したことがきっかけです。

 多摩美術大学を卒業後、寺村先生に会うまでは画材店のいづみやでアルバイトをしながら絵本作家を目指していました。でも挿絵の仕事を得るには原作者や編集者に選ばれるのを待つしかないから限界を感じていたんですよね。原稿が書けるようになれば次々と出版社に持ち込めるんじゃないかと思って、最初は寺村先生が書いた『童話の書き方』(講談社)を参考にしたんです。でも読んだだけでは書けるようになるはずもなくて、講座を受講することにしました。

 1年間くらい受けたら、どこかで私が絵描きだと耳にした寺村先生から「僕に絵を見せて」と声をかけられたんです。それで見せたらあかね書房の編集長の名刺を渡されて、「ここに絵を持っていきなさい」と言われました。

――それで、あかね書房を訪ねたんですね。

永井 書き溜めた作品を両手に抱えて持っていきましたよ。

 寺村先生は、それよりずっと以前に、作家活動のかたわら、あかね書房で編集長をなさっていた時期があったそうです。その縁もあり「こまったさんのおはなしりょうりきょうしつ」シリーズが同社で出版されて、寺村先生は次にお菓子のシリーズを考えていました。

 同じころ、寺村先生が書いていた「ぼくは王さま」シリーズ(理論社)では、和歌山静子先生の絵が線が太くて力強いイラストでしたから、逆に細かく描く人を探していたらしいんです。いわば説明的なイラストが描ける人ですね。たまたま私の絵がぴったりで、わかったさんの挿絵を描くことに決まりました。

「陰影をつけない絵を描いて」という注文に応えて

――わかったさんのキャラクターデザインは、どのように決まったんですか?

永井 私はもともと油絵出身なので、どの作品にも陰影をつけて立体感を出していたんです。でも寺村先生から、「陰影をつけない絵を描いて」と言われたから、ロットリングで細い線を描いて、平面的に色を塗りました。けど、味気なく感じて……。近くにあった色鉛筆で輪郭線の内側にぼそぼそとした線を加えたんです。そうしたら、柔らかくてふくらみのある感じが出たんですよね。

 その絵を寺村先生に見せたら「この絵で10年は食べていける」と言われました。うれしかったです。

――そうしてわかったさんが誕生したんですね。

永井 そうです。毎回できあがった原画は、あかね書房に持っていくんですけど、寺村先生は1枚ずつ丁寧に見て、感嘆しながら褒めてくれるんです。人の乗せ方が上手なんですよね。編集者には厳しかったらしいですけど、挿絵画家にはあまり怒らなかったみたい。それだけ、挿絵画家の仕事を大事にしてくれたんだと思います。

 もちろん「ちょっとポーズが違うんじゃない」と1,2回は言われたことはありますけど。ほかに一度だけ、「まほうつかいのレオくん」シリーズ(あかね書房)でモノクロの予定だったシーンをカラーに変えたことがあったんですけど、その時は、結構怒ってましたね。でもできあがった絵を見て最後には、「あなたはこれが描きたかったんだね」と私の意見を採用してくれました。

2024.09.13(金)
文=ゆきどっぐ
撮影=山元茂樹