「なんじゃ、こりゃ」

 そう声が出てしまっても仕方ない。一通り宛名を確認して、雪哉は呆れてしまった。

 渡された書簡のほとんどが、遊郭や酒場――つまりは、花街からの文であったのだ。また来て欲しいだの、どこどこの遊女が営業妨害をしているので便宜を図って欲しいだの。

 普段、あの若宮ときたら何をしているんだ。

 体力的には楽だったが、健全な精神をがりがり蝕むという意味で、これほどきつい仕事が他にあっただろうか。最後には怨嗟の声とともに書簡を叩きつけ、ようやく、言いつけられた仕事の全てが終わった。

 ちょっと乱れてしまった書簡を整えつつ、雪哉は深いため息をついた。たった今綺麗に並べ終った書簡の脇には、未だ、まっさらな状態の課題が山と残っている。

 今までの側仕えだったら、素直に代わってやったことだろう。

 雪哉はしばしの思案の後、若宮の硯箱を取り出し、墨を摩り始めた。流石、腐っても日嗣の御子の持ち物だ。硯は年代物の逸品だったし、翡翠の形をした水滴は使いやすかった。そのまま、筆には手を付けないまま、雪哉は延々と墨を摩り続けた。

 ようやく若宮が戻って来たのは、すっかり日が落ちた後であった。

「お帰りなさいませ」

「ああ」

 迎えに出向けば、澄尾や馬の姿は見えず、若宮一人きりだった。しかも、出て行く時には着ていた上着がない。羽衣姿となった若宮を見て、昼間に難癖をつけて来た門番のことを思い出した。この格好で大門に向かったら、門番はこの男が若宮であると、はたして気付くだろうか。

「それで?」

 我に返ると、若宮は居室に上がり、自分で鬼火灯籠に明りを入れたところであった。

「言いつけておいた仕事は、どこまで終った?」

 新たに借りて来た本に視線を落としながら、若宮は言う。ろくにこちらを見もしない態度を腹立たしく思いつつ、雪哉はつっけんどんに返事をした。

「ご期待に添えたかどうかは分かりませんが、一応、全部終りましたよ」

 若宮は、そこではたと顔を上げた。

2024.04.15(月)