「こんな何もないところにわざわざくるなんて、あんた、よっぽど寂しいのかい?」
「えっ(笑)。いや、めっちゃ面白いことしてる! と思ってきたんですよ。」
「あんたも病気だね。」
そのコミュニティの重鎮たちは、時々ギクッとするような言葉を、挨拶がわりに投げかけてくるような、強烈な人たちだった。そんな彼らと一緒に過ごしていくうちに、私はまだ自分を語る言葉を持っていないことに気づかされていった。
自分を語る言葉。私が太っていることに困っているとはいえ、デブとか、肥満とかいう言葉で語りはじめるのは嫌だった。デブは呪いの言葉だし、肥満は健康診断で犯罪者として吊し上げられるような印象があって、どちらも私の被害妄想を盛り上げるキーワードでしかないからだ。そのヒントを得るため、私と同じように太っている人たちが、どのように生き、自分を語っているのか調べていたときに『「ファット」の民族誌(2)』という本に出会った。著者であり文化人類学者の碇陽子は、アメリカで1969年から始まった肥満当事者による差別廃絶運動について研究している。碇によると、運動の参加者たちは自分達を医学用語の「過体重」や「肥満」ではなく、「脂肪」や「デブ」という意味を持つ「ファット」という言葉を使ってお互いをエンパワメントしているというのだ。アメリカでは、侮蔑的なニュアンスを持っているこの「ファット」というワードを使うところに、自分の身体を自身の元へ取り戻していくような、主体的な態度を感じる。しかし、日本人の私にとっては侮蔑的なニュアンスもそれほど感じず、ただただ新鮮だ。その柔らかく軽やかな語感含め、とても気に入っている。私はこの「ファット」という言葉を用いて、自分や自分のような太った身体をもつ人について改めて捉え直し、自分の言葉を見つけていきたいと思っている。
寂しがりやの脂肪細胞
ところで、私の身体はどうしてこんなに「ファット」なのだろう。「食べすぎてるから」だとしたら、なぜなのだろう。自分の身体とうまく付き合うためのヒントになるような、しっくりくる答えはないだろうか。その答えを見つけるため、まずは「太る」ときに身体で起きていることを知ることから始めてみたい。
2024.04.05(金)