時々、なぜそんなに太っているのか? という質問をされることがある。私は大抵「食べすぎてるからだよ」と答えてきた。多くの人は、そう答えたらスッキリ笑ってくれるので楽だ。たまに、聞いてもいないのにダイエットのアドバイスや健康に関する情報提供をしてくれる人もいる。この体型で生きていること自体、人に不安を与えてしまうらしい。気まずくて、いつも痩せたいと思っているふりをしている。

肥満ではなく「ファット」

 私は今、大学院で「ファット」な身体との付き合い方を、衣服を作るという行為を通して発見するという研究をしている。やや複雑に聞こえるかもしれないが、私や祖母のように自分自身を「太っている」と感じている人が、どのような身体感覚を持っていて、どのように自分の身体と付き合っているのかを明らかにすることが一つの大きな目的だ。

 今から約10年前に看護大学を卒業した私は、精神科病院や当事者コミュニティ等で看護師として働きながら、同時にアーティスト・ファッションデザイナーとしても活動してきた。好きで続けてきたそれらの仕事から、「身体との付き合い方」というテーマに行き着いたことは、必然に聞こえるかもしれないが、自分の中ではかなり意外なことでもあった。それは私が長い間、「自分の身体」について考えることを極端に避けていたからだ。幼い頃から太っていた私は、太っていながら生きていくことに、少なからず気まずさや恥ずかしさのようなものを感じていた。今振り返ると、成長するにつれて増強していくその感覚に対し、あらゆる方法で応じてきたと思う。それは、過激なダイエットで体重をコントロールすること、自虐漫画を描いて笑いの先手を打つこと、週末に白塗りメイクや仮装で別人のように変身することなど、多岐にわたる。

 私が大学院に入学したのは、今から2年半ほど前のことだった。いわゆる社会人学生である。今は東京に戻ってきているが、当時は北海道にいた。森進一の名曲の印象が強すぎる、あの襟裳岬よりちょっとだけ西側にある、浦河町という海沿いの小さな街だ。そこで私は一応、看護師として働いていた。不思議な場所だった。愛着のある東京、大切な友達、そして何より最愛の祖母と離れ、一人で移住してしまうくらい、当時の私はその街に強く惹かれていたのだ。街には、「浦河べてるの家(1)」という、主に精神障害を持った人たちが生活や仕事、そして当事者活動をしている大きなコミュニティがあった。今から20年ほど前から、自分で自分に病名をつけたり、幻聴や妄想などの困りごとに名前をつけて仲間と研究したり、というようなとてもユニークな実践が行われている場所だった。ファッションデザイナーとしても活動してきた自分にとって、彼らが自分の「言葉」で自分を語り直していくプロセスは、まるで自分の手で自分が纏うための「服」を作っているように思えた。更なるファッションデザインの可能性を探しに……なんて高々とした目標を掲げて行ったものの、しかし、実際はそんな甘い期待を裏切られるような、常に胸がヒリヒリするような日々だった。

2024.04.05(金)