この記事の連載
- 『空と風と時と 小田和正の世界』より #1
- 『空と風と時と 小田和正の世界』より #2
- 『空と風と時と 小田和正の世界』より #3
- 『空と風と時と 小田和正の世界』より #4
「なんであのイントロが思いついたのか」
「なんであのイントロが思いついたのか、実は今でもわからない。でもドラマのなかでこの曲を聴いた時、これはバッチリだとビックリしましたね。普通のスタジオだったら、皆、家に帰ってしまっていた。合宿みたいな環境じゃなかったら生まれなかったんじゃないかな」
こうして、予定していたB面は「ラブ・ストーリーは突然に」に差し替えられることになったが、ここでひと悶着が起きた。レコード会社「Little Tokyo Label」の担当、丸谷和貴が、どうしても「ラブ・ストーリーは突然に」をA面にしてくれと頼んだのだ。小田は「それはできない」と断った。しかしさらに粘り、吉田から「無理だ」と断られたあと、ツアー中の小田が滞在していた名古屋のホテルにまで東京から車を飛ばし、真夜中、小田の寝込みを襲った。
「電話がかかってきて、どこにいるんだと訊いたら、ホテルの下にいますと。なんだよ、そんな無茶するなよって。ずいぶん熱い奴だなと思ったけど、いま思うと、強引なだけだったな」
小田は仕方ないなと彼の思いを受け入れ、両A面とした。
本来A面の「Oh!Yeah!」は第一生命のコマーシャルに使う予定の曲で、第一生命はこれをA面にとは言ってはいなかった。しかし小田は、感謝の意を込めて初めてA面にしたいと決めていた。一度決めたことに対して、小田は頑固だ。結果、両A面という変則で売り出されることとなった。
ちなみに「Oh!Yeah!」の印象的なフレーズ♪嬉しい時は右 左の肩は涙♪を聴いた時、武藤敏史はその少し前に、小田とゴルフをやった時のことを思い出したという。小田がスコアカードを置いたので、なにげなく見ると、そこに「嬉しい時は右、左の肩は涙」と書いてあった。
「ゴルフをしながら詞が浮かんだのでメモしたんですね。切り替えは早い人で、四六時中考えているわけじゃないだろうけど、それは印象に残っていますね」
1991年2月6日、シングル「Oh!Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」はリリースされた。その日、小田と吉田はゴルフ場にいた。朝食の時、レストランに置かれたスポーツ紙を見ると、全紙とも「ラブ・ストーリーは突然に、空前の大ヒット」の大見出し。テレビの朝の情報番組でも報じていた。それを見て小田が言った。
「俺たち、ここにいていいの?」
吉田が答えた。
「でも東京に戻って、何するんですか?」
それがその後起きた想像すらしていなかった怒濤の現象の始まりだった。
2023.12.01(金)
著者=追分日出子