「村田渚さんとの出会いが転換点でした」“お笑い界の母”と慕う芸人も…K-PRO代表・児島気奈が語る「ゼロからの信用の築き方」〉から続く

 年間1000本以上のお笑いライブを企画、主催するお笑いライブ専門制作会社「K-PRO(ケープロ)」。その代表を務めるのが、東京の若手芸人たちから「お笑い界の母」と慕われる児島気奈(こじま・きな)さんだ。

 今年10月に上梓した『笑って稼ぐ仕事術 お笑いライブ制作K-PROの流儀』(文藝春秋)では、自身とK-PROがいかにしてゼロから東京のお笑いライブシーンの中核になりえたのかを開陳している。

 約20年にわたり業界を見守ってきた中で、どのような変化が訪れたのか? 最前線から見えた光景を聞いた。(全2回の2回目/前編を読む)

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――K-PROは来年20周年を迎えますが、ご著書の中で、M-1の誕生は大きなインパクトがあったと触れています。東京のお笑いシーンを見続けてきた児島さんの目には、どのように映っているのでしょうか?

児島 一視聴者として見るとものすごく面白い大会なのですが、私たちはライブを主催する立場です。

 私が知っている限りの東京の芸人さんで言えば、M-1誕生以降は、そこが基準になってしまったと思うし、M-1を見て「お笑いを始めました」という人が増えたという印象です。バラエティ番組を見て、お笑いが好きになったわけではないので、バラエティの感覚に乏しいなぁとも思っています。

 ネタの完成度を高めたいという若手が増えたため、ライブが面白くなりづらいといいますか(苦笑)。その結果、一時期トークライブをやってもお客さんが入らなくなってしまって。

M-1の大きすぎる影響

――『笑って稼ぐ仕事術』には、K-PROが目指す劇場は、千鳥、笑い飯、NON STYLEらが出演していた時代の「baseよしもと」だと書かれています。所属芸人のランク分けがあり、最高位の「トップ組」が出演する「ガンガンライブ」をはじめ日替わりでお笑いライブが開催されていました。

2023.10.13(金)
文=我妻弘崇