ここには、大臣=政府がちゃんと仕事をしてくれさえすれば、父がしっかりしてくれれば、鈴芽たちがあのような苦労をせずに済むのに、という願望がある。ダイジンが大臣として、子供ではなく大人として仕事をしてくれれば、そもそもこの物語は必要ないのだ。

 ただし、大臣が仕事をしないことと父の不在が重ねられるのだとすれば、そこには「大臣は男の仕事」という前提があることになる。この作品の核心には、その見た目とは正反対に、男性的な政治への希求が埋めこまれている。

 このすべては(論じないと言ったものの)全編にわたって看取される、震災を神道的な自然へと還元して、神道的な秩序によってそれを抑えこみたい、そしてその仕事は最終的には男性的政治の仕事であるという願望と無関係ではない。鈴芽が要石となるという選択肢は、最初から存在していなかったのだ。

2022.11.28(月)
文=河野 真太郎