約1時間とは言っても、書店での1時間は実に短いものだった。いつも周囲に迷惑をかけることを心配なさる皇后さまは、書店の小さな応接室にお引きあげになり、そこで小休止された。

 書店の社長と私は、大体そういう流れで打ち合わせていたのである。皇后さまは、時間がなくて、児童図書と文房具の売場をご覧になれなかったことが少しお心残りだったとおっしゃったので、次にはもう少しお時間を頂いて、最近の文房具もご覧になれるようにしよう、と私は思っていた。

 書店では、そこで皇后さまとお相伴の私にコーヒーを出して下さった。これもあらかじめ約束ができていたことである。夢中で本を見ていると疲れるし、喉も渇くし、手も汚れている。ご休息の時、「お手拭きと、コーヒーを一杯ごちそうして下さいませんか」と私は社長に頼んであった。

「コーヒーの味を気になさらないで下さい。まずくても喉が潤うだけでもそういう時の飲み物はほっとするものですから」

 

 そのお願い通りのコーヒーであった。私は思わず言った。

「まずいコーヒーをお願いしてましたのに、おいしいコーヒーじゃありませんか」

 皇后さまが変な顔をなさったとも思わないが、私は「まずいコーヒー」が登場するはずの経緯をお話しし、皇后さまは笑って下さった。舞台裏の話というものは総じて、寛大に受け取られるものである。

 私は葉山の御用邸から20~30キロ離れた三浦半島の南端に近いキャベツ畑の中に週末の家を持っていて、時々、両陛下もお立ち寄り下さる。お目にかかれば必ず話題に出るのは、近隣の台地で栽培しているキャベツ、或いは今年の大根の値段である。今の農村は総じてお金持ちだが、それでも私は顔見知りの農家の方に会うと、すぐキャベツや大根の値段の話をする。その結果得た知識を、両陛下にもお伝えしたくなる。

「去年ハワイ旅行をした方たちも、今年、野菜のお値段が高ければヨーロッパ旅行にいらっしゃるんだそうです」

2022.05.19(木)
文=曽野綾子