他者に恋愛感情を抱かず、性的にも惹かれない「アロマンティック・アセクシュアル」の男女の同居生活を描いた「恋せぬふたり」。向田邦子賞・ギャラクシー賞を受賞し、話題となった同ドラマの、書き下ろし小説版が発売。

 そこで、ドラマの脚本とともにオリジナル小説の執筆も手掛けた吉田恵里香さんにお話を伺いました。アロマンティック・アセクシュアルをテーマにしたきっかけや本作に込めた思いは何なのか。

 さらには日本のラブコメについて思うことまで、たっぷり語っていただきます。

※「アロマンティック」とは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。「アセクシュアル」とは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。どちらの面でも他者に惹かれない人を、「アロマンティック・アセクシュアル」と呼ぶ。


アロマンティック・アセクシュアルとわかる登場人物を出したかった

――「恋せぬふたり」はアロマンティック・アセクシュアル(以下アロマアセク)の人たちをわかりやすく丁寧に描いていたと思います。そもそもアロマアセクの登場人物で作品をつくろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。

 海外の映像作品を観ていたら気になる登場人物が出てきたんです。そこで作品のレビューサイトを調べてみたところ、「たぶんこの登場人物はアロマアセク、もしくはアロマンティックかアセクシュアルのどちらかなのではないか」と書いてありました。そのときにはじめてアロマアセクという言葉に出会いました。それまでは恋愛感情に濃い薄いはあっても、恋愛感情をまったく抱かないという感覚があるとは考えたことがなかったので、気になって調べているうちに興味を持ちました。

 そしてアロマアセクというセクシュアリティを知ってからというもの、日本のエンタメ作品にそういう人物が描かれていないということに違和感を持ちはじめました。ならば自分の作品にアロマアセクの登場人物を出すことで、みなさんに認知してもらえるといいなと。

――以前脚本を手がけられた「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」(以下チェリまほ)でも、アロマアセクとおぼしきキャラクターが出てきましたよね。原作とは違うキャラ設定だったので印象に残っています。

 「チェリまほ」自体は作品ジャンルがBL(ボーイズラブ)で、そこにでてくる藤崎さんという人物は、原作では同僚の男性二人に対してカップリング妄想をするBL好きのキャラクターでした。BL作品としてみたときのこの藤崎さんのキャラは大好きなのですが、BLの知識のない人は同僚を見て妄想する行為に対して戸惑ってしまうと思ったので、設定を変えようと。そこで、この人はBL好きかもしれないけど、ドラマではそこを切り取らずに「恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性」としました。この作品では「アロマアセクを出してやろう!」という感じではなかったですし、キャラ自身のセクシュアリティを明言しているわけでもありません。ただ、恋愛ドラマだとしてもみんなが恋愛をしなくてもいい、という思いはありました。

――「恋するふたり」では登場人物がしっかりアロマアセクと自認していますよね。

 セクシュアリティを明言するか否かということはNHKの方とも協議をしたのですが、私としては今回はちゃんと明言して描きたかったので、登場人物は「アロマンティック・アセクシュアルの2人」とはっきり出すことにしました。ただ、LGBTQ+への認知度が高まる一方で、まだまだ知られていない性的少数者も多い。アロマアセクを明言するからには、当事者の方々が世間から誤解・誤認されないようにしなくてはいけない。そのためにいろいろ調べたり、実際に当事者の方々の意見を聞いたりすることを丁寧に行いました。

アロマアセクの中にも多様性があることを伝えたい

――アロマアセクというセクシュアリティを説明するシーン描写に、作品の誠実さを感じました。咲子がアロマアセクを自認するシーンや、同僚のカズくんがアロマアセクに理解を深めるシーンにおいて、それぞれネットや本を使って「自ら調べる」というプロセスを踏んでいたからです。メディアはマイノリティの当事者語りを利用して、大衆に「お勉強」させたがる傾向が強いですが、マイノリティはマジョリティの見識を広めるための道具ではありません。たしかに当事者の語りには重要な側面もあるのですが、いかなる人もまず自分から学ぶ必要があると感じていました。

 まさにそうで、一話でどうアロマアセクというセクシュアリティを説明するかは悩んだ部分です。当初、ゼロから高橋に教えてもらうという案もあったのですが、そこは丁寧に咲子が調べることにしました。実際に当事者の方も自分で自身のセクシュアリティのことを調べて自認される方が多いようですし、当事者でなくとも知らないことを調べるというのは自然にすべきだと思います。

――今作でアロマアセクという言葉をはじめて知ったという方も多いと思います。アロマアセクの方の描き方として意識したことはありますか?

 「アロマアセクだからこういう人なんだ」と思われてしまうような、わかりやすい見せ方はしたくはありませんでした。「アロマアセク」はあくまでもセクシュアリティをみんなに認知や自認をしてもらうための言葉であって、そのなかにもグラデーションがあり、一人ひとり違う人だということはしっかり伝えたかった。だから咲子と高橋というキャラクターについても、同じセクシュアリティでありながら接触や性的なことへの拒絶感・反応も違うように描き、差別化しています。いろんな人がいるのが当たり前で、ひとつに決めつけて描かない、ということは意識しました。これについては、ドラマよりも小説版の方でしっかり表現することができたかなと思っています。

――ドラマを観たあとに小説版を読んだのですが、ドラマにはなかった咲子と高橋それぞれの心の内が地の文で書かれており、より理解を深められるものになっていました。ドラマ版において二人の心の内をモノローグとして入れなかったのはあえてですか?

 ドラマでは行間を大切にしたかったんです。アロマアセクのモデルケースが二人しかいないなかで、二人の心の内まで丁寧に描写すると、アロマアセクの人はこういうことを考えていると決めつけているように映ってしまう危惧がありました。そこで視聴者に感情を委ねる部分を多めに設計しています。

 一方で小説版は映像がない分、その行間を埋める作業が必要だと感じました。こちらは二人の心情をメインに書いているので、小説を読むことでドラマの補完になると思います。

――小説版は基本的に二人の目線が交互に書かれていて、咲子と高橋の考え方の違いや、思いが微妙に違って伝わっている感じなども知ることができました。どんな相手に対しても(たとえば同じセクシュアリティ同士であっても)、まず相手がどんなことを感じているのか、どうすれば心地良いのかを考えることが大切なんだろうなと読んでいて感じました。

 私も気をつけていたんですが、アロマアセクの方とおしゃべりしたり取材させていただいたりすると、相手のことをわかったような気になってしまう。さも自分が完璧に理解している気になってしまうけど、そんなことは絶対にありえない。というか、分かろうとすることはすごく大事だけど、完全にわかるということは絶対にないと思います。それは咲子と高橋においても同じことで、当事者同士だとしてもお互いが完全に理解し合えるということはありえない。そこを出発点としてどういう関係性を築けるかということを描いているので、二人の視点のズレも楽しんでいただきたいです。

――アロマアセクの方を丁寧に描く一方で、その対比となるマジョリティの描き方も秀逸だなと思いました。

 マジョリティに対しては、悪者でもないし良い人でもないというか、みんな本当に多面的で両方の面を持っているので、そこをしっかり描くように気をつけました。

――いろんなタイプの人が出てきましたよね。びっくりしたのが、高橋と元カノの遥のやりとりなど、異性愛ラブストーリーではきっと素敵に映るであろうシーンにこそホラーみを感じたことです。

 他者に恋愛感情を抱く人たちにとっては普通のことだったり嬉しいことだったり、もしくはただのコミュニケーションだったりすることが、当事者の人たちにとっては苦痛だったりトラウマになることがあるんだということを伝えたかったんです。

 恐怖を感じられたのはアロマアセクからの視点でマジョリティをみたからだと思いますが、たとえば「同意のない性行為」ということについてはアロマアセク当事者だけではなくマジョリティの方でも恐怖に感じますよね。流されて恋愛関係や肉体関係をなあなあに結んでしまう話はよくある話なのかもしれませんが、本来それはお互いにしっかり対話をしないといけないこと。決めつけの恐怖についても、マジョリティを通して描いたつもりです。

2022.05.20(金)
文=綿貫大介
撮影=今井知佑