徳川の説明では、明仁皇太子自身が「再会の場所、時間」を決めたことになっている。しかし、宮内庁選考チームとの連動に注目すべきだ。少なくとも小泉と黒木は4月中には美智子を皇太子妃候補とする腹を決めていた。調査と同時並行で「出会いと交流」の場を設けようとしたのではないか。
つまり、皇太子が独力で場所と時間を決めたのではなく、選考チーム、とくに黒木と相談し、美智子を誘う状況を考えた。半年ぶりの再会は、皇太子と小泉・黒木との共同作業であった。
一緒のテニスの回数は……
徳川は「それから後は大体1週に1回ぐらいの割りで〔明仁皇太子は美智子と〕テニスクラブで顔を合わせ話をし、親しくなることに努められた」と続ける。「テニスクラブ」とは、麻布の東京ローンテニスクラブ(以下、東京ローンクラブ)である。徳川は、週1回という頻度で交流したと証言した。しかし、交流がそれほど頻繁であったかは疑わしい。
東京ローンクラブでのテニスは、結婚前のデートのように受け止められている。皇太子は以前から会員であり、美智子は5月15日に会員となった。美智子はなぜ、都合よくテニスクラブに入会したのだろうか。
おそらく、次の誘いが用意されたからだろう。当時、東京五輪の前哨(ぜんしょう)戦として第3回アジア競技大会(5月24日~6月1日)が開催直前だった。そこにイラン皇弟来日の予定があった。国際親善を兼ね、テニスを趣味とする皇弟と皇太子が一緒にプレーする計画が持ち上がる。皇太子は妹の貴子内親王とペアを組むため、イラン皇弟にも女性ひとりが必要になった。そこで美智子が誘われた。
「英語もテニスも堪能だから」と理由を付ければ接伴(せっぱん) 役を頼みやすい。「練習をするから」との名目ならクラブへの勧誘も不自然ではない。
東京ローンクラブに入会した美智子は5月21、31日の2回、皇太子とテニスの練習をした(以下、テニスの日付は「織田和雄日記」を参照した)。6月1日にイラン皇弟との親善テニスがあり、美智子は予定どおり接伴役を果たした。皇太子と美智子のテニスは、前年を含めここまでで計6回となる。
2022.05.03(火)
文=森 暢平