今はそうやって疑問を呈することができるけれど、当時はまだ今ほどの知識もなく、周囲の様子を窺っては、集団の中の“普通”を感じとって演じる日々。「普通だったら社会に認められる」「普通であることがすべてなんだ」という認識です。
鏡の中の自分を見たり、女の子の友達と離れ、男子グループに溶け込もうとするたび、違和感だけが増幅していきました。その違和感の正体を、自分でもはっきりと説明できなかったのですが、どうやら「性別」に関わることらしい。だから、小学校の図書室で性別に関する本を探して調べたりもしました。
初めて知ることばかりでしたが、自分の感覚にピタリと当てはまる例や、「自分の悩みが全て解決した」と思える本は見つからなかった。どの本も、「LGBTQ」のどれかに当てはめようとしているように感じてしまい、「自分はそうじゃないんだ」「そうなりたいわけじゃないんだ」という気持ちでした。そんなモヤモヤを抱えたまま、中学生になりました。
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「LGBTQ」に当てはめたくない
昔は、病院に行って、自分が“どれ”であるのか当てはめるべきだと思ったこともありました。一方で、それを知っていったい何になるんだろうとも思いました。「LGBTQ」の「Q」であると言われたとして、それで終わり。大人がどうにかして助けてくれるわけではありません。
分かったからといって、周りの人たちが自分を認めてくれるかといったら、そうではない。結局、それが分かったところで、実際の悩みは自分でどうにかしていくしかない。自分の力で強く生きていくしかない。そこまで考えて、「あ、性別ってそんなに大事じゃないな」って気づいたんです。
※記事全文では、一番の味方でいてくれた母の存在や、井手上さんが目指す未来などについて書かれています。全文は発売中の「週刊文春WOMAN vol.10(2021年 夏号)」にて掲載。
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photographs:Nanae Suzuki
styling:Hideo Suzue(H)
hair & make-up:Ayako Okudo(GON.)
2021.07.05(月)
文=「週刊文春WOMAN」編集部