不可視化されてきた「在日コリアン」
――本作でもうひとつ強く印象に残るのは、従来の戦後劇ではタブー視されがちだった在日コリアンたちの姿です。戦後の占領下、日本は敗戦国となりましたが、日本の植民地支配から脱した朝鮮半島出身者たちは「解放国民」と呼ばれ、戦勝国とも敗戦国(日本人)とも異なる曖昧で不安定な立場に置かれました。その軋轢や偏見をよそに、子どもたち同士が結ぶ出自を超えた絆が胸を打ちます。
戦争孤児と聞くと、誰もが「一番かわいそうな絶対的被害者」だと思いがちです。しかし、歴史を紐解いていくと、子どもたちの中にも、いろんな区分や住み分けがある。
空襲によって街を焼かれたことは、まぎれもなく日本国民にとっての過酷な戦争被害です。けれど、それ以前に、やはり日本がアジア諸国に対して行ってきた長年の植民地支配や徴用工問題などの、深い「加害の歴史」が厳然として存在している。
祖国を荒らされ、筆舌に尽くしがたい差別や虐待に合い、日本が戦争に負けたとき、心の中で「ざまあみろ、やっと解放された」と思った人々が、この国内に無数に暮らしていたのは事実ですし、それから先に残る遺恨もあるわけで。
そんなテーマは、本当は今回の映画のボリュームの中で描き切れるような話ではないのですが、戦後の混乱を映画で描くとき、日本人の被害のみにスポットを当てて、加害の記憶や在日アジア人の存在を綺麗に漂白してしまうとしたら、作品が未来には向いていかないんですよね。
「そこを無かったことにはできない、必ず描かなければならない」という思って脚本に向き合いました。
――大人たちは解放国民を警戒し、差別意識を向けますが、子どもたちはそうした境界線を軽々と飛び越えていきますね。
生きるか死ぬかの極限状態に置かれた子どもたちにとって、「相手が日本人か朝鮮民族か」なんて民族の違いは重要ではなくなっていったでしょうね。住むところも後ろ盾もない同じ穴のムジナ、腹が減っているときに飯を分け合えるか、生きるための悪事において協力できるかという、むき出しの人間同士の信義だけがすべてですから。
ひるがえって現代の日本を見ても、K-POPなどのポップカルチャーを通じて、若い世代にとって韓国の文化は憧れの対象になり、かつてのような差別や偏見が一部では忘却された側面はもちろんあります。
けれど、その一方で、自分たちの利益や安全が脅かされそうになった途端、別の対象に対して露骨な排外主義やヘイトを向けてしまう人間の感情は、若い世代にでも驚くほど再発しやすい。
相手の国や属性が変わっただけで、歴史の失敗をケロリと忘れ、「これはまた別の話だから」と切り替えて、似たような差別や排除を反復してしまう。
そういった人間存在の愚かしさと危うさに、私たちはもっと自覚的でなければならないと思います。
