社会構造の危うさは、驚くほど現代と地続き
――戦時中は「産めよ増やせよ」、戦後は敗戦の防波堤・生存手段として性を搾取された女性たちの苦悩に思いを馳せてしまいます。
根本的な社会構造の危うさは、驚くほど現代と地続きです。生活の手段を完全に失ったとき、身体を売って日銭を稼ぐしか道が残されていないという状況は、いまも昔も変わらない。
公的な福祉やセーフティネットに頼るよりも、身体を売る方が手っ取り早く生き延びられると感じてしまうことや、「これしか生きる道がない」と女性自身が思い込んでしまう孤立の構図は、現代の女性貧困と同じです。
一方で、福祉や制度が充実すればそうした選択をする人がゼロになるのかといえば、それほど単純でもないとも思います。人間の心と性とはもっと複雑で不可解な側面を孕んでいます。
ただ、敗戦直後の歴史を振り返ったとき、国を挙げて進駐軍向けの特殊慰安施設を作り、女性たちを「防波堤」として差し出したという国家の判断そのものが、戦後ずっとまともに精査も否定もされてこなかった。その無責任さに、私は非常に“この国らしさ”を感じてしまうんです。
戦争責任も、子どもの放置も、女性に対する搾取も、「まあ、あの時代は混乱していたから仕方なかったよね」とうやむやに蓋をしてやり過ごしてきた。女性たちは、社会から軽視されることに無感覚になって、時代の波に翻弄されながら、その泥沼をなんとか泳ぎ抜くしかなかった。
さまざまな立場の女性が声を上げる時代になったいま、「本当にそれでよかったのか」「これからも同じ構造で未来に進むのか」という問いもまた、子どもたちの物語とは別の点で、この映画の大きなテーマでした。
――彼女たちは単なる「哀れな犠牲者」ではなく、「必死に選択した生活者」としてのリアリティが際立っていました。映画の中の女性たちを「守られるだけの被害者」にしなかったまなざしについても伺いたいです。
女性という存在は、戦争を描く上では常に「銃後の被害者」や「銃後で耐えた脇役」として扱われがちですが、私はそうではないと思っています。
戦争の空気に抗いもせず、結果として戦争体制に加担してしまった女性たちも無数にいたわけです。被害者であると同時に、加担者でもあった。
でもこの映画の中で、女性を単なる「弱くて無垢な被害者」として単純化しないスタンスを貫けたのも、いま、女性たちが自らの複雑な現実を語れる空気を作ってきたからだとも思います。
